破磐神社。
それは神社好きの人達の間で、境内や隣の池で撮影すると、
龍神やオーブが写りこむということで有名な神社ですね。
本当かどうか、というと、、
目次を作ってみました
パワースポット写真?
こういう写真が簡単に撮影できるのが面白くて、以前は多く撮影しました。
撮影してみて、わかったのですが、
意識して太陽光が入らないように撮影すると、
このような写真を撮影するのは難しいかもしれません。
もしかしたら、神社の境内とか、海辺とか広場とか、太陽光が強いところは、なにか見えない力がみなぎっているのかもしれません。
それに、神社って日光浴するにも良いですよね。
以上、前置きでした。
印象
破磐神社は、個人的な感想は、
パワースポットというより、もっと穏やかな、
そんな気持ちにさせてくれる神社です。
不思議と調子が良くなるような気がするんですよねぇ。
そういえば、私は強めの雨男なんですが、
破磐神社に行こうかな、と思う日は決まって快晴なんですよ。
ホント、不思議です。
写真があったので、定点観測してみますね。
定点観測
近くからも撮影したので、ご紹介します。
どのようなイベントが行われるのでしょうか。
楽しみですね。
お守り
破磐神社といえば、お守りも有名ですね。
社務所にて、お守りを購入できます。
張り紙があります。
不思議な力を秘めた竹炭
竹の里・太市
破磐神社の竹炭御守
初穂料1000ー
とあります。
破磐神社の位置する西脇の隣町、太市は、タケノコの産地として有名で、
と評されるほど。
適度な歯ごたえと甘さがおいしいと評判の一品です。
そんなタケノコの産地として有名な場所にあるからこその、
竹を使用した竹炭の御守なのでしょうね。
写真で紹介すると、
購入の際、社務所にて、
と、宮司さんから、アドバイスをいただき、素直にポケットに入れて持ち歩いていると、
さすがに、これはちょっと汚れがひどくなってしまったので、
今回、神社を訪れて、新しく竹炭御守を買い直しました。
古い御守はどうすれば良いのでしょうか?
宮司さんが納札箱へ納めるよう、示してくれました。
とのことです。
お焚き上げとは、これまでの感謝の気持ちを込めて、炎の力で天に返す儀式のことですね。
感謝とともに、古い御守に別れを告げました。
少し寂しさを感じました。
御朱印紹介
世間では御朱印ブームということで、今回も御朱印を紹介しますね。
かみのさち
吹く風弓の
かぶら矢と
いかで岩をも
遠ささらめや
矢という表現があるからか、勇ましい印象のある御朱印ですね。
それに、破る磐の神社って、なにやら強そうな雰囲気もあります。
でも、無骨なんだけど、歌が詠まれていることによって、どこか風流も感じますね。
では、歌の意味、神社の由緒を調べてみましょう!
由緒
大抵、神社には由緒が書かれた看板があるのですが、今回訪れたときにはありませんでした。
以前、訪れたときにあったのですが、、。
破磐神社から1.7㎞離れた、破磐神社の御神体である大磐石の前に看板がありましたので、撮影しました。
由緒看板
このわれ岩は神功皇后が放たれた第三の矢が当って破れたと
今に伝えられる破磐神社起源の大磐石です。
その昔、神功皇后が三韓征討よりご凱旋の時、
忍熊王の難がありましたとから御船を妻鹿の湊に寄せられ、
三野の荘麻生山で朝敵退治を天神地祇に祈られた天に向って矢を放たれました。
第一の矢は印南群的場にあだ矢となって落ち、
第二の矢は飾磨郡安室辻井に落ちてしまいましたが
第三の矢は大市郷西脇山中のこの大磐石にあたって磐が三つに破れました。
皇后はこれは吉兆であると大層お喜びになり
この地に矢の根を祀られ
後に仲哀天皇・応神天皇の第二柱を合せ祀り
破磐三神と崇め奉るようになりました。
この地は非常に狭隘で
祭事に煩いがあるということから
中世当地より東北1.7㎞離れた地に
神社を御造営し大神等をお遷し申し上げ
現在の破磐神社となっております。
破磐神社の起源について
かみのさち吹く
風のかぶら矢と
いかで磐をも
通ささらめや
と詠まれています
神社参拝の経験からの由緒
普段の私であれば、由緒の看板を見て、
とひねくれてるところですが、
ところがどっこい!
これまで、神戸の和田岬の三石神社を訪れ、
西宮の兵庫第一の古社、廣田神社を訪れました。
なんと、この2つの神社を訪れていたことにより、この看板の意味が少しわかるのです!
いやぁ神社ブログをしてみるものですね。
といつまでも自慢していても仕方ないので、簡単にして記してみましょう!
由緒を訳す
ビジュアルがあったほうがわかりやすいですよね。
この神功皇后が、妊娠しながらも今の朝鮮を攻めて、朝貢させることに成功したのが、三韓征討ですね。
三韓征伐(三韓征討)に成功した神功皇后は、九州にて、無事に応神天皇を出産します。
それから、しばらく平和な日々が続くかと思われましたが、
仲哀天皇の第1皇子と第2皇子が反乱を起こして、神功皇后に挑んできます。
つまり死別した夫(仲哀天皇)の息子達が、
と神功皇后に戦いを挑んできます。
看板にあった、忍熊王とは、仲哀天皇の第2皇子ですね。
第1皇子は、占いの際、猪に襲われ亡くなっています。
そして、神功皇后は、忍熊王(仲哀天皇の第2皇子)を打ち破るべく、
九州から大阪へ船で攻め上がります。
その途中、
これが、破磐神社の起源ですね。
その後、神功皇后は、忍熊王を戦いにて破って、
息子である応神天皇が仲哀天皇の後継者となりました。
由緒をもうちょっとだけ
姫路市の麻生山に登って 矢を放ち戦勝を占った神功皇后ですが、もう少し詳細を記します。
麻生山から、矢を放った神功皇后ですが、
三本放った、3本目の矢が
大市郷西脇山中の大磐石にあたって磐が3つに破れました。
神功皇后はこれを吉兆として喜び、この地に矢の根を祀りました。
この御神体は、神社から1.7㎞離れた竹藪の奥にあります。
なんでも狭隘で祭事に煩いがあることから、1.7㎞離れた地に神社を造営したとのことです。
※狭隘‥せまいこと
御神体はどこにあるの?
御神体である大磐の場所が少しわかりにくいので、簡単に記しておきますね。
さぁ行ってみよう
地図を頼りに道を走っていると、ありがたいことに看板が目に入ります。
邪魔にならないよう路駐するか、
奥にお墓があるので、そこに駐車している人が多いように思います。
竹藪の陰から見ると、奥にあるわれ岩に光が射して、神秘的な雰囲気を感じました。
近づいて
と感嘆します。
この地に来れたことに感謝しながら、そっと手をあわせて、この場所を後にしました。
神社境内をさらっと紹介
神社の境内をあまり紹介できていなかったので、さらっと紹介します。
以前、タツリキについて、ブログにしているので、見てくれると嬉しいです。
飾られている絵は、龍が描かれています。
龍神がいるのでは?
という話があるとかないとか、、。
忠霊塔が、神社の東側に、ひっそりとたたずんでいます。
明治維新以降、国難に殉じた郷土の英霊をお祀りする塔ですね。
最後に、、。帰ろうと境内を歩いていると、可愛らしいお地蔵様が目に入りました。
微笑されているお顔に、体には、私はしあわせ、と刻まれています
神社情報です
神社名 | 破磐神社 |
---|---|
御祭神 | 神功皇后(息長帯比売命) |
鎮座地 | 兵庫県姫路市西脇1598 |
電話番号 | 079-269-0572 |
駐車場 | 有 |
地図です
おまけ
破磐神社の由緒を調べて、少し気になることがありました。
神功皇后が、兵庫県姫路市の麻生山から、天に向かって矢を放ち、
その3本目の矢が大市郷西脇山中の大磐石あたって大岩が三つに破れました、
とあります。
はて? かなり距離が離れているような、、、。
ちょっと、Googleの地図で距離を測定してみましょう!
いやぁ便利な世の中になったものです。
さて、何㎞離れているのかな、、、?
13.2㎞、。
13.2㎞?
13.2㎞離れた先に、弓矢を放って、大岩を割る、、、。
神功皇后の人知を越えた力の成せる技ですね。
調べてみると面白いですね
[…] […]