と、わたくし、考えました。候補はたくさんあります。どれも素敵な神社ばかりです。
しかし、最初に紹介する神社は、やはりココだろう、と決めました。
それが、兵庫県神戸市兵庫区に位置する、神功皇后を祀る三石神社です。
場所はJR和田岬線の和田岬駅、地下鉄では地下鉄海岸線和田岬駅が最寄りの駅で、歩いてすぐですね。
目印としては、ヴィッセル神戸のホームスタジアムである、ノエビアスタジアム神戸が少し離れたところに位置しています。
駐車場はなく、隣接する天御中主大神を祀る和田神社に大きな駐車場があるので、そちらにお参りして、こちらにも参拝してはいかがでしょうか。
目次を作ってみました
なぜ最初の掲載が三石神社なのか?
理由はシンプルです。
神功皇后の像があるからです
(幼い応神天皇を抱く武内宿禰もね)
![](https://higaeritabi.com/wp-content/uploads/2020/02/zingu-scaled-e1582355605740-300x255.jpeg)
兵庫県の神社を語るうえで、神功皇后という人物は絶対に避けて通れないでしょう。
それほど、極めて重要な人物なのです。
神功皇后の絵は何度か見たことがあるのですが、これだけ大きな像は三石神社しかないのではないでしょうか。
重要人物が御祭神、キャッチーな像、神戸和田岬の産土神、
と三拍子揃えば、最初に取り上げる神社として、三石神社が相応しいと思ったのです。
神功皇后ってどんな人?
神功皇后がどんな人なのか、個人的に抱いている人物像は
歩く伝説
日本のジャンヌダルク
そんな感じのイメージです。
ちなみに、実在したかどうかは不明ですが、
架空の人物にしては、地域地域で語られる伝説が多すぎる、そんな御方です。
生没年は 西暦170年~269年。
卑弥呼が活躍した時期と近いことから、同一人物なのではないか、という説もあります。
日本は弥生時代から古墳時代、中国では三国志の時代ですね。
わかりやすい家系図でいうと、ヤマトタケルの義理の娘(ご主人がヤマトタケルの次男)
応神天皇の母(〇〇八幡神社、の八幡神とは応神天皇といわれています)
先日、世界文化遺産に登録された仁徳天皇陵の仁徳天皇の祖母にあたる、そんな人物です。
神功皇后ってどんな人?②
神功皇后は兵庫県でも多くの伝説を残しています。
神戸市の東灘区では、泉の水を化粧に使用したところ、その姿が鮮やかに映ったことから、
そこの地名が御影になったり、
(今でも霊泉として阪神御影の高架下にパワースポットとして残っています)
天に向かって矢を放つと大岩が割れたり、祝詞を唱えて嵐を鎮めたり、というのもありますが、もっとも有名なのが、
船が進まなくなって、神託を行ったところ、
事代主尊から、長田に祀れと言われ、長田神社を創建、
稚日女尊から、活田長峡国に居りたいと言われ、生田神社を創建、
天照大御神から、我が荒魂は広田国に置くのが良いと言われ、廣田神社を創建、
したことでしょうね。
歩く伝説、日本のジャンヌダルク、
という感じがするのも頷けるのではないでしょうか。
神功皇后ってどんな人③
神功皇后は、第14代天皇、仲哀天皇の后で、第15代天皇、応神天皇のお母さんです。
真実はわかりませんが、神功皇后はちょうど神話とそうでないところの狭間に存在している人物ではないでしょうか
199年、以前、ヤマトタケルが平定した九州が乱れてきているということで、
仲哀天皇が熊襲平定に向かうのですが、なぜかそこに神功皇后も随伴します。
筑紫(福岡県)の香椎宮にて、仲哀天皇が神託を受けるために琴を弾くと
予想外にも、神功皇后に神が降臨して神託を告げます。
つまり、九州平定をするより、朝鮮に攻めに行きなさい、という神託であったのですが、
仲哀天皇は朝鮮を攻めるつもりはなく、海の向こうになにがあるかわからない、と神託を疑い、琴を弾くのを止めます。すると、神の怒りを招いてしまいます
間もなく、仲哀天皇は亡くなってしまいます。
そして再び神功皇后に神が降臨し神託を告げます。
(これを神功皇后の神がかりと言い、神功皇后がシャーマンとしての才能に長けていたことがわかります)
と告げます。そのとき、神功皇后は、仲哀天皇の子を妊娠していることがわかります。
神はさらに、この妊娠している子に天下を治めさせるよう指示します。
さぁどうしたものか、
なんて神功皇后は迷いません。
ひたすら、神のお告げを信じ、神を奉り、臨月の体にあるにもかかわらず、
お腹に鎮懐石や月延石を巻いて出産を遅らせ、男装して自ら軍を率いて船で朝鮮に出発します。
すると、海の大きい魚も小さい魚も集まってきて船を背負って走り出し波に乗り、
あっという間に朝鮮の1国、新羅に到達します。
これを見た新羅の王は恐れおののいて降参し、百済、高句麗とともに、朝廷に貢ぎ物を差しだすことを約束しました。
これを三韓征伐といいます。つまり、戦わずして威光だけで朝貢させることに成功しました。
その後は、九州の筑紫に帰還し、無事、応神天皇を出産します。
めでたしめでたし、
ではなく、今度は大和で、仲哀天皇の第1皇子と第2皇子が反乱を起こして、神功皇后に挑んできます。
まず、第1皇子と第2皇子は、誓約狩(うけいがり)という占いをします。
神に誓いをたてて、狩りを行うというものですが、
そこで突如現れた猪に、第1皇子は襲われ亡くなってしまいます。
その結果に恐れた第2皇子は兵を明石から大阪まで引きあげます。
神功皇后は、第2皇子を欺くため、応神天皇を亡くなったことにして、喪船に軍を忍ばせたり、
自らを亡くなったことにして、降伏したように見せかけて騙し討ちを行い、
第2皇子を追い込み、戦いに勝利します。
これにより、正式に応神天皇が皇太子となり、神功皇后は70年間、
摂政として朝廷に君臨します。
享年は100歳とされています。
神功皇后伝説の真偽
さて、上記のような伝説を残した神功皇后ですが、果たして実在したのでしょうか?
と個人的には思っていたのですが、先日、神戸の生田神社をうろうろしていたときに、
末社の松尾神社で、興味深い石碑を発見しました。
![](https://higaeritabi.com/wp-content/uploads/2020/02/matuo-300x225.jpeg)
読みますね。
灘五郷酒造の発祥地
神功皇后の御外征以来、
毎年三韓より使節が来訪しております。
その使者が入朝及び帰国するに当り
朝廷では敏馬浦(脇浜の沖)で新羅から来朝した賓客に
生田神社で醸造した神酒を振る舞って
慰労の宴を催しこれ等に賜るのが例でありました。
この酒は「延喜式の玄蕃寮」によると
生田, 広田, 長田(以上摂津国) 片岡(大和)の四社より
稲五十束ずつを持ち寄り、
稲束二百束とし生田神社の境内で
生田の社人に神酒を醸造させたもので、
この神酒で新羅の要人の宴を賜ったと記されております。
これが灘五郷酒造の始めと伝えられておりまして、
酒造王国の発祥地は実は当生田神社であると言われております。
以上により当神社境内に「酒の神」
松尾神社が末社として奉斎せられております。
とあります。
と考えられる文言ですよね、
おそらく、この頃には日本と朝鮮はなんらかの交流があったのでしょうね。
地元有名柔道選手の初詣が話題
先日、ニュースで拝見したのですが、2020年東京オリンピックで金メダル獲得が期待される、
男子66キロ級の阿部一二三選手と
女子52キロ級の阿部詩選手の御兄妹が地元の三石神社で初詣を行い、金メダル獲得を祈願したことが話題になっていました。
もちろん、神社好きだから、というのもあるのですが、この両選手の神社選びのセンスに
と嬉しくなりました。
というのもですね、
勝負の世界というのは、実力だけではなく、勝負運、という要素も大事だと思うんですね。
特に限界まで力を研ぎ澄ましたであろう、
世界1位2位を争うような選手であればあるほど、
実力にプラスして得られる力が大切になってくると思うんです。
そこで、神社参拝というのはとても有効な手段で、その中で、神社選び、というのが大切になってくるんですね。
神道においては、多くの神様を「八百万の神」と崇め奉っています。
つまり、多くの神様がいる中で、どの神様を祀る神社に参拝するか、これが御利益にはとても大切なんです。
詳しくは↓こちらの前回記事を見ていただけると嬉しいです。
![](https://higaeritabi.com/wp-content/uploads/2020/02/jinjya-320x180.png)
そして、この両選手は、神功皇后を祀る三石神社を選んで参拝しました。
それは、神功皇后が前述したように、
兵庫県とはとても縁があり、百戦無敗の武芸の神様で、その力が神懸かっていた、
ということを調査して、その御利益にあやかろうとしての参拝であったのかな、
と思うと、ついつい嬉しくなったという経緯です。
なんて言われるかもしれませんが、それもまた縁ですね。
ちなみに、2020年3月現在、両選手の動向を調べてみると、
妹の阿部詩選手は、2020東京オリンピックに出場内定しており、
兄の阿部一二三選手は、最終選考会である全日本選抜体重別選手権(4月4~5日)の成績で東京オリンピックに出場できるどうかが、決まるそうです。
三石神社の由緒
![](https://higaeritabi.com/wp-content/uploads/2020/03/haiden-300x225.jpeg)
上記は、三石神社の拝殿です。
隣接する天御中主大神を祀る和田神社はとても大きな神社なのですが、
それに比べてこちらの三石神社は小さくまとまった印象を受ける神社です。
三石神社の鎮座地である和田岬は、
西暦200年、神功皇后が三韓からの凱旋の帰途上陸し、
三つの石を立てて神占いをした結果、
廣田・生田・長田・住吉の神々を其の地に祀らしめた儀式の地とのことです。
後に、西暦602年、推古天皇がこの地に来られ、
禊(みそぎ)をされたところを祓殿塚(はらいどののつか)といい、
玉座とされた石を三石としました。
西暦730年頃、僧行基が務古の水門なる和田泊を興した時、
神功皇后の神霊が現れ、往来の船を守らんとすと誨えたため、
祓殿の旧跡に祠を立て大輸田泊の鎮護としました。
![](https://higaeritabi.com/wp-content/uploads/2020/03/sekihi-300x225.jpeg)
神社の入口には、神功皇后が上陸した大きな石碑が建てられています。
三石神社の御利益
これまでさんざん神功皇后の御利益は、武芸上達や勝運(必勝祈願)と書きましたが、
三石神社の御利益は、安産で有名ですね。
その他にも、厄除、家内安全、病気平癒、交通安全、学業成就、
心願成就、商売繁盛、会社事業所安全繁栄があります。
神功皇后の神話では、戦って勝利した面もありますが、
妊娠しながら石をお腹に巻き、出産を遅らせ、勝利した後に、無事、応神天皇を出産したというエピソードもあります。
安産の御利益というのは、それにあやかったことでしょう。
神功皇后が応神天皇を妊娠の際、
当地の三つの石を身に付けて安産を祈願したと伝えられています。
その故事により、 三石神社は三つの石が入った「祈石」を今も安産御守とし、
その小石の色が白二個であれば男子、
黒二個であれば女子を出産すると占ったそうです。
私は神功皇后のイラストが素敵でしたので、絵馬を購入しました。
祈願絵馬500円です。
その他にも、お札や御守、ストラップにステッカーも販売されておりました。
御朱印です
最近はになやら御朱印ブームということなので、当ブログも積極的に掲載していこうと思います。初穂料300円です。
神功皇后のスタンプが力強くて印象的ですね。
神社情報です
神社名 | 三石神社 |
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御祭神 | 神功皇后(并 応神天皇) 天照皇大神 素戔嗚大神 |
鎮座地 | 神戸市兵庫区和田宮通3丁目2番51号 |
電話番号 | 078-671-2531 |
祈祷時間 | 9時~16時 御朱印有 |
地図です
おまけ
三石神社には夕刻に訪れたのですが、帰り際に記念の写真を撮影しました。
![](https://higaeritabi.com/wp-content/uploads/2020/03/gaikan-300x225.jpeg)
と撮影をしていると、急に画面が青く変わったんです!
![](https://higaeritabi.com/wp-content/uploads/2020/03/ao-300x225.jpeg)
突然、画面の色が大きく変わったので、故障かと驚きましたが、しらばくすると直りました。
これは一体なんなんでしょうか?
調べてみると、マジックアワー(magic hour)という現象で、日没後に数十分程体験できる、
光源となる太陽が姿を消しているため、限りなく影の無い状態が作り出される状態におこる撮影現象のようです。
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