目次を作ってみました
はじめに
先日、神戸市灘区の摩耶山(まやさん)を訪れました。
そこで、ふと気づきます。
あれ、ここって、六甲山だよね?
、
、
あれ、どっちなの?
、
という疑問がわきましたので、調べました。
答えを言うと、
六甲山とは、六甲山の最高峰(標高931m)に連なる山々の総称で、
摩耶山(まやさん)は、六甲山系の標高702mのひとつの山、
とのこと。
ちなみに、神戸の中心街から見える六甲山は、摩耶山ですね。
じゃあ、摩耶山って、なんで摩耶山って名前なんだろう?
、
という疑問もわきました。
このあたりを気にしながら読むと、その謎が解消しますので、
ぜひぜひ、お付き合いくださいませ。
掬星台(きくせいだい)
摩耶山に訪れたからには、
まずは掬星台に行かなきゃ!
掬星台とは、摩耶山の山頂近くにある展望広場で、
ちなみに、あとの二つは、
北海道函館市の、函館山から望む夜景と、
長崎県長崎市の、稲佐山から望む夜景です。
なお、
ですので、夜景の写真はありません。
ごめんね。
兵庫県神戸市の、摩耶山の展望広場、掬星台には、
車でも、ロープウェイでも、歩き(登山)でも訪れることができます。
今回、私は車で訪れました。
駐車場は、摩耶山の山上付近に位置する、
天上寺前にのみ、あります。
掬星台は、ここから歩いて9分ほど。
(※今回の記事の摩耶山天上寺は、すぐスコです)
まぁ十分に歩いて訪れることができる距離です。
なお、駐車場代は、普通車500円です。
知らないと焦ると思うので、このブログをしっかり見ておきましょう。
掬星台②
掬星台へは1本道なので特に迷うことはありません。
500mほど、歩いたでしょうか。
ちなみに、掬星台の名前の由来は、
まるで手で星を掬う(すくう)
かのように、
眼下の光粒を掬えそうな、
1000万ドルの夜景。
とのことです。
てっきり、
名付けて、菊生大!
と推測していたのですが、的外れでした。
それにしても、星を掬う(すくう)展望台と書いて、
掬星台(きくせいだい)とは、ちょっと読めないですよね。
摩耶山天上寺
さて、前置きが長かったですが、なにが言いたいかというと、
摩耶山天上寺から、歩いていける距離に、
ついでに立ち寄ってみるのも良いよね、という話でした。
というわけで、
、
ここからが本題です!
、
掬星台見物から戻り、駐車場のすぐ近くの摩耶山天上寺を訪れました。
門柱に大きく文字が刻まれています。
右から読んでみましょう!
、
佛母摩耶山
、
、
忉利天上寺
、
、
ちょっと読み解くのは難しいですね。
正直、さっぱりわかりません。
そもそも、
見た目は、かなり立派なお寺ですが、
ここは、摩耶山の700mの山頂付近です。
なぜこんな場所に、こんなお寺があるのでしょうか?
縁起
お寺や神社には、多くの場合、
歴史や、成り立ちが書かれた、
、
これは縁起といって、
歴史や信仰などにについて記されています。
大本山 摩耶山天上寺の略縁起
、
と、タイトルがついています。
しかも、略縁起となっています。
略だから、省略されて、きっと簡単なはずですよね。
、
ちょっと読んでみましょう!
、
※後で短く訳すので、読み飛ばしてもOKです。
略縁起
摩耶山天上寺は、大化2年(西暦646年)、
孝徳天皇の勅願により、インドの法道仙人が開創された名刹です。
最盛期には、八宗兼学寺して、子院僧坊3百余(僧の数約3千)を擁する
摂津第一の巨刹でありました。
ご本尊は、お釈迦さまが感得されたといわれる秘仏十一面観音です。
この本尊を法道仙人がわが国に伝え、当寺のご本尊とされて大阪湾一円および、
当山の4周に開けた八州の守護仏とされました。
その後、弘法大師が入唐の際に、
当時中国で女人守護のみ仏として崇拝されていた
梁の武帝作の摩耶夫人尊(マヤブニンソン)を日本に請来され、
当寺に奉安されました。
この女尊はお釈迦さまの生母で、
キリスト教のマリアに相当する仏教の聖母です。
それ以来、当山の名を「仏母摩耶山」(ブツモマヤサン)
(略して摩耶山)とよび、
寺の名を摩耶夫人(マヤブニン)の昇天された忉利天の名にちなんで、
「忉利天上寺」(トウリテンジョウジ)
(略して天上寺)と号するようになりました。
ご本尊の十一面観音は、11の仏面に人々を救う力を秘めた観音さまで、
お釈迦さまが42歳の厄年に造られたことから、
古来厄除招福の秘仏として信仰されています。
仏母摩耶夫人尊(ブツモマヤブニンソン)は、
女性のあらゆる難病や苦しむを救い給う女尊であり、
特に安産と子授け・子育ての守護仏として全国的に知られています。
このように、女人の本地仏(ホンジブツ)といわれる十一面観音と
女人守護の摩耶夫人尊をおまつりしているところから、
当寺は仏母のみ寺・女人高野と謳われて広く女性の信仰を集め、
安産腹帯発祥の霊場として知られ、
腹帯のお寺として信仰されています。
また、祖霊が集まり留まる霊山としても知られ、
祖先や精霊の、み魂(みたま)を供養し鎮めるにふさわしい
霊場として信仰されています。
なお当寺は、国立公園摩耶山の頂上にあり、
神仏霊場兵庫第4番・新西国22番霊場・関西花の寺第10番霊場・
西国愛染明王第4番霊場・
神戸七福神布袋尊霊場・
神戸十三仏第2番霊場・
摂津国33番所第4番霊場・
摂津国88所第80番霊場・
福原西国奥の院霊場・
兵庫観光百選選定地・
兵庫文化百選選定地などにも選ばれている名所・名刹です。
まさしく、当寺は世事につかれた人々の心を清め養い、
生きがいと幸せを求め願うにふさわしい霊場です。
略縁起を訳す!右
摩耶山天上寺に設置された略縁起は、さすがに長いので、
ずばり、
、
、
お釈迦様の生母(摩耶)の仏像をまつったお寺!
、
です!
ちゃんと1行になりました。
※詳しく知りたい方は、少し戻って読み返してね。
略縁起を訳す!右②
ということで、
、
冒頭の石柱に、佛母摩耶山、と書かれていましたが、
佛母とは、仏の母、
つまり、仏教の創始者、お釈迦様のお母さんのことで、
摩耶とは、そのお名前のことなんです!
正確には、マーヤーと発音すると思うのですが、
日本では、摩耶夫人(マヤブニン)と呼ばれています。
そして、
この摩耶山の正式名称は、
仏母摩耶山(ブツモマヤサン)といい、
石柱に刻まれた文字は、この摩耶山の正式名称のことだったんです。
あ!
摩耶山だけじゃなくて、
神戸市灘区の摩耶って地名の由来は、
と気づきました。
摩耶インターとか、摩耶大橋とか摩耶駅とか摩耶埠頭とか、
すっかり地名として浸透していたけど、
その語源は、ここ摩耶山天上寺にあったんですね。
勉強になりました。
そういえば、女性の名前に「摩耶」さん、という方がいますが、
その語源も、きっと摩耶夫人(マヤブニン)なんでしょうね。
あと、神戸の製薬会社・摩耶堂製薬の社名も、摩耶夫人が由来だそうですよ。
略縁起を訳す!左
右の石柱に刻まれた、佛母摩耶山
の謎は先ほど、解明しました。
左には、
、
忉利天上寺
(とうりてんじょうじ)
、
と刻まれています。
略縁起には、
摩耶夫人(マヤブニン)の昇天された忉利天の名にちなんで、
と、説明がありました。
これはちょっと難しいので、私が簡単に訳しますね。
略縁起を訳す!左②
古代インド仏教の世界観に、
日本的な感覚でいうと、
天界、人間界、冥界のような感じでしょうか。
難しいので、
まず、
、
超広い宇宙を想像してください
、
その中心に須弥山という、
、
神様が住むビル、
、
があると思ってください。
このビルの最上階フロア、
それが
最上階フロアなので、偉い神様が住んでいます。
※会社の偉いさんがいるフロア、みたいな感じです。
略縁起を訳す!左③
実は、お釈迦様の生母・摩耶夫人(マヤブニン)は、
お釈迦様を出産して、産後の肥立ちが悪かったせいか、
7日後に亡くなってしまわれます。
そんな彼女が、転生(昇天)した場所、それが、
この忉利天(とうりてん)から、
女人守護、特に女性の安産を守っていると言われています。
そして、この摩耶山天上寺は、
もともとのこの天城郷(あまぎのさと)という地名から、
天城をテンジョウと呼んで、天上寺となり、
摩耶夫人(マヤブニン)が転生した、忉利天(とうりてん)から
「忉利天上寺」(トウリテンジョウジ)
(略して天上寺)と号するようになりました。
つまり、
摩耶山天上寺を飾らずにいうと、
というと、わかりやすいとですね。
法道仙人と空海
歴史をもう少しだけ語らせてください。
摩耶山天上寺を語る上で欠かせないのが、
この2人が、大きく関わっています。
法道仙人(6~7世紀)は、仏教を広めようと、
インドから雲に乗って日本に来たという、伝説的な方です。
というと、
と感じると思うのですが、
ただ、そう判断できないほど、
とても多くの伝説・伝承を残しています。
ただ、活躍したのが、兵庫県が中心だったためか、
全国的には有名でない印象です。
そして、この摩耶山天上寺の奥には
インド人の僧侶(仙人)ですが、個人的には、役小角のような方を想像しています。
この法道仙人が実在したかどうかは、
わかりませんが、
兵庫県には、彼に対する仙人信仰や伝説、自然物が多く残っています。
歴史的な経緯
お釈迦様が42歳の厄年のとき、生母・摩耶夫人を想って、5.5㎝ほどの大きさの黄金の11面観音像を彫ります。
その11面観音像はインドから、中国、そして法道仙人の手に渡ります。
法道仙人は、インドから仏教を広めるために中国に渡りましたが、
そこで、中国より東の日本へ仏教を広めるためにやってきます。
そして、
と見つけだしたのが、この神戸の摩耶山です。
かくして、この11面観音像を秘仏として、伽藍を建立し、
寺の名前を忉利天上寺と名付けました。
これが西暦646年と言われています。
歴史的な経緯②
時は変わって、中国の梁の武帝の時代(西暦502年~509年)、
病気が流行し、子供が生まれなくなることがありました。
そんな折、
皇帝の夢にお釈迦様がお立ちになって言いました。
皇帝は言われた通り、摩耶夫人立像をつくり、祈りを捧げました。
すると、たちまち病気は終息し、元気な子供達が次つぎに生まれました。
それ以降、摩耶夫人は
歴史的な経緯③
時は流れ、西暦808年、空海(弘法大師)が
中国(唐)に渡り、密教の勉強をします。
そして、
という境地にいたります。
そして、帰国の際、
摩耶夫人立像を1体もらい、日本に持ち帰りました。
そこで、
と探し、摩耶夫人に、もっとも縁の深い、
神戸の天上寺に摩耶夫人立像を納めました。
これにより、山の名前を、佛母摩耶山と名付けました。
通称・摩耶山はこうして名付けられました。
ちなみに、
空海が24歳のときの作品で、わかりやすく、その考え方が書かれています。
まとめ
長々と書いてしまったので、ここまでの経緯を2行でまとめますね。
そして、
え、
意味がよくわからない?
、
と思わわた方は、
ここまでの、この記事を読み返してね。
まだ続きます。ごめんね。
いざ、行かん!
ここまで書いてきて、とんでもないことに気づきました!
さっさと入りましょう!
入場料は無料です!
1時間もあれば、景色を楽しんで、
仏様とゆっくり相対して、お参りする時間もあると思います。
なんだろう?
と中を覗いてみると、
実は、この摩耶山天上寺、昭和51年に火事により多くの塔堂を全焼しています。
その際、関西在住のインドの方々の善意により、
摩耶夫人像の奉納を願い、インドから寄贈されたとのことです。
ガラスに入っているのは残念でしたが、
そっと合掌してその場を去りました。
日本とインドの友好と、文化交流の想いもあるそうです。
摩耶の碑
周辺を歩いていると、なにやら石碑があります。
と疑問に思い調べてみました。
1932年、神戸の川崎造船所で、軍艦(巡洋艦)・摩耶は完成しました。
巡洋艦・摩耶は、地元の、この摩耶山から命名されました。
巡洋艦とは、遠洋航行能力・高速性と、攻撃力を持たせた軍艦で、
軽快戦艦といったイメージでしょうか。
軍艦・摩耶は第2次世界大戦中に、幾多の海戦に参加。
1944年、パラワン島からレイテ湾へ進撃中、潜水艦の雷撃をうけ沈没した。
戦死者は470名。
軍艦摩耶と戦死者の慰霊を願う関係者の努力によって、
この記念碑は建立された、とのことです。
青空を見上げ、
そっと手を合わせて合掌しました。
祈りが慰霊になれば良いな、と思いました。
天空の庭
参道の階段を少し歩いて境内に歩を進めます。
冒頭の摩耶山掬星台は、展望公園といった感じでしたが、
この摩耶山天上寺は、まるで
といった上品で、ダイナミックな印象です。
※枯山水‥‥水を使わない、石や地形を利用した庭園。
それでいて、
なんといっても、
ここは、
まさに天空の庭というべき迫力と、
手入れの行き届いた美しさがあります。
ぜひ、実際に来て体感して欲しいスポットです。
掬星台とは、また違った眺めです。
庭の意味
ところで、この天空の庭園ですが、
と疑問がわきましたが、
よく庭を見てみると、
ですので、
白砂の中には入らないようお願いします、
と、あります。
なるほど~。
ですので、
白砂の中には入らないようお願いします、
と、あります。
ふむふむ。
まぁ私くらい信心深くなると、
このあたりはフィーリングで理解できるようになっています。
なぞ
って、
いうか、
、
、
本当は、まったくわかってないよ!
、
すみません、
ちょっとカッコつけて、
わかったふりをしてしまいました。
気になったので、
調べてみると
ただ、それを理解するためには、
前提となる知識がいりそうです。
でも、
ご安心ください。
、
なんと、
ここまでの記事を読んでいれば、
ちゃんと理解できるようになっています。
※簡単に復習しながら書いていきますね。
仙人来朝之庭
まずは、このお庭。
と言われると、
名前から察するに、意味がわかりそうですよね。
天竺より渡来し摩耶山を開創した法道仙人が、
大海原を超えて来朝した姿を、
一石の船石に託した庭園、
とのことです。
、
つまり、
、
摩耶山にて天上寺を創建した法道仙人が
インドから仏教を広めるために中国に来たけど、
中国はもう仏教が盛んだったから、
という、
その光景を表しているようですね。
解説すると、
1500年前という、交通手段が発達していない状況で、
日本に仏教を伝えるために、
船に乗って、
海を越えて、
摩耶山(神戸)に来て、
天上寺を開創しました。
この意味を理解して、庭を見ると、
想像すると、1500年も前に、
仏教を伝えるために、
インド→中国→日本に来る、
という行程は、
相当の苦難があったのだろう、
と想像できます。
、
、
え?
、
伝説では、法道仙人は、
、
、
たしかに、
ただ、船に乗って日本に来た説もあって、
大阪の此花区には、
法道仙人が日本にたどり着いた場所が、
仏教が伝わった場所として、
伝法
という地名になって残っています。
まぁ歩いても、船に乗っても、雲に乗っても、
インド→中国→日本って、
とても大変な行程ですよね。
個人的には、インドから日本に仏教が伝わってきた道程、
仏教伝来そのものを表しているようにも感じます。
そう思うと、たしかに、
仏教的な仙境の世界、といっても過言ではないですよね。
摩耶創生之庭
続きまして、
摩耶夫人堂は、日本でここだけです。
お釈迦さまの生母 摩耶夫人(まやぶにん)尊と、
左右に、梵天・帝釈天がおまつりされています。
考察
で、この庭がなにを表現しているかHPを調べると、
摩耶夫人が昇天された忉利天の世界と、
天上界を象徴しているとのことです。
、
、
え?
、
、
よくわからない?
、
、
、
個人的な見解を交えてですが、
わかりやすく、
考察しますね。
考察②
まず、摩耶山天上寺の略縁起の説明で、
忉利天(とうりてん)について、述べましたね?
え?
、
、
忘れた?
、
、
、
、
と思いますが、まぁ私の記憶も微妙です。
繰り返しの説明になりますが、説明しますね。
古代インド仏教の世界観に、
日本的な感覚でいうと、
天界、人間界、冥界のような感じでしょうか。
この世界観に、
神様が住む、須弥山という山があって、
その頂上を、
忉利天には、帝釈天という、神様の中でも偉い神様が住んでいて、
ここに、お釈迦様の生母、摩耶夫人が転生したと言われています。
という、
知識を持って、
考察③
須弥山という世界観の中の、人間界といったところでしょう。
そして、
ということは、
つまり、
忉利天(とうりてん)‥偉い神様が住んでいるところ。
そして、
これは個人的な考察ですが、
この忉利天(とうりてん)を、
ズーム(拡大)して、
これが、
、
、
と、
わかりやすく、
ダイナミックに表現しているのが、
その証拠に、
摩耶夫人堂には、
摩耶夫人の仏像だけではなく、
その隣に、忉利天(とうりてん)に住むと言われる、
帝釈天がまつられているんです。
と考えると、
見ごたえのある庭ですよね。
庭で世界観を表現して、
その中の天界(忉利天・とうりてん)
をお堂(摩耶夫人堂)に繋げて表現していると考察できます。
確かに、
良い物を見せていただきました。
参拝①
さて、ダイナミックな庭を見ることができたし、
その謎も解けました。
ということで、
と思ったところで、
大事なことを忘れていました。
、
、
、
参拝していませんでした!
、
、
、
ということで、
まずは、
先ほど紹介した、
参拝②
先述したように、私はここ(摩耶夫人堂)が、
須弥山という世界観の、
忉利天・とうりてん
※偉い神様が住んでいるところね。
に模されていると思っています。
また、手前の石柱には、
、
日本第一女人守護、
、
と、刻まれています。
これは再度、説明すると、
昔の中国で、
病気が流行し、子供が生まれなくなることがありました。
そんな折、お釈迦様が皇帝の夢に立ち、
と伝えました。
皇帝が言われた通りにすると、
たちまち病気は終息し、元気な子供達が次つぎに生まれました。
それ以降、摩耶夫人は
なお、摩耶夫人は、
お釈迦様を出産して、7日後に亡くなります。
その後、忉利天(とうりてん)に昇天されたと言われています。
つまり、
この摩耶夫人堂を、忉利天(とうりてん)に見立てるのならば、
摩耶夫人が住んでいる場所なわけですから、
摩耶夫人を信仰するのに、
あと、略縁起には、
仏母摩耶夫人尊(ブツモマヤブニンソン)は、
女性のあらゆる難病や苦しむを救い給う女尊であり、
特に安産と子授け・子育ての守護仏として全国的に知られています、
と説明されておりました。
参拝③
と紹介したわけですが、
仏像の画像がないと、
わかりにくりですよね。
ということで、
帝釈天とは、忉利天に住むとされる、とても偉い神様で、
忉利天(トウリテン)を会社に例えると、
というと、わかりやすいと思います。
ちなみに、
私が安産祈祷しても、意味はないと思うのですが、
世界中の妊婦のために、
私のお腹のぜい肉も、落ちますように。
、
と、あわせてお願いしたのは、ここだけの秘密です。
金堂(本堂)
さぁ次は、摩耶山天上寺のメイン!
この摩耶山天上寺で、一番大きな建物ですね。
ただ、
近づいて、堂内を撮影しようとしたのですが、
せめて、
雰囲気だけでも、と思いまして、
扁額には、
佛母摩耶山、
忉利天上寺と崩した字で記されておりました。
金堂(本堂)内
と軽い気持ちで靴を脱いで、
堂内に入ると、
まるで異空間というか、
穏やかな光に照らされた仏像群が配置され、
荘厳な雰囲気を放っています。
私が入ったときには、誰もおらず、
私一人だったのですが、
そこに座布団に座り
前を見ると、
例えるなら、
まるで、
正面には、ご本尊の十一面観音が立ち、
こちらを見つめています。
その脇には、本尊を守るかのように阿修羅と明王、
またその脇には、それぞれ2体ずつの仏像が配されています。
なんだか、
仏像群と相対していると、
と、メッセージを受けているようで、
温かく包まれているような感覚になりました。
私はなにかをお願いするというより
とここに来られたことへの感謝のみを伝えて、
参拝を終えました。
それほど、価値のある空間だと思います。
ただ、
今こうして冷静にブログを書いていると、
とお願いしておけば良かった、
と少しだけ後悔しています。
御利益
金堂の仏様は、参拝者を温かく包んでくれていますが、
その視線の先は、
といったスケールの大きさも感じました。
調べてみると、11面観音という仏様は、
水と密接な関係があるとされ、
水の守り仏とも言われています。
つまり、
神戸(兵庫県)の海運関係者は、
摩耶山天上寺へ参拝して、
安全祈願すると、
そんな神聖さを感じる金堂(本堂)でした。
ぶらぶらと
金堂の参拝は、とても気持ちの良い経験でした。
ぜひとも、また訪れたい、おすすめできるスポットです。
ということで、
とその前に、
摩耶山天上寺の敷地内を散策したので、
ちょっとした見どころを紹介して締めたいと思います。
カエル
境内を歩いていると、
われこそは
摩耶のおめでた蛙なるぞ
なでてみな
家内しあわせ子ら孫らすこやか
万万歳なるぞ!
、
とのことです。
つまり、ナデナデすれば良いわけですね。
考察すると、
名前が、おめでた蛙だから、
一応、なでておきます。
私はご利益はもらさない男です。
法道仙人
前述しましたが、
摩耶山天上寺を開創(創建)した、
インドの仙人で、兵庫県下において、
多くの寺院を開創(創建)したと言われています。
地方的に多くの伝説があるので、
ぜひ知っておいて欲しい人物ですね。
仏陀石
散策していると、
小さなな石像と
隣に説明文があったので、要約します。
仏陀石
仏陀石は、お釈迦様の足の裏の形を石に彫り付けたものです。
これを礼拝すれば、生身のお釈迦様を拝むのに等しく、
福徳を招くと信仰されています。
摩耶山天上寺の仏陀石は姿形が良く、名品と言われています。
、
なるほど。
私はご利益はもらさない男です。
轟不動尊
奥に進むと、密教学購伝所という建物があります。
入室はできなかったのですが、
そのガラス戸の奥に、
隣に説明文があったので要約しますね。
轟不動尊
法道仙人が摩耶山に庵を創ろうと、祈祷をした時、
雷鳴と共に、不動明王が空中に出現しました。
この明王を人々は轟不動尊と呼び、
除災招福、邪魔退散の零尊として、今日まで信仰を集めてきました。
法道仙人が不動明王を召喚したのでしょうか。
ここは真言宗のお寺ですが、ご真言が記されておりました。
せっかくなので、最後に真言を記して締めますね。
ノウマクサンマンダ バサラダン センダ
マーカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン
慈救呪(ジクジュ)という不動明王の真言で、
不動明王よ。
迷いを打ち砕きたまえ。
災いを除きたまえ。
願いを成就させたまえ。
という意味ですね。
まとめ
以上、摩耶山天上寺のご紹介記事、
長々と書きましたが、いかがでしたでしょうか?
見所が豊富な素敵なスポットでしたね。
個人的には、
神聖で荘厳な雰囲気の中、
お参りするだけで温かい気持ちを体感することができました。
他の見所も、ひとつひとつが難しいように見えて、
その意味がわかると、その魅力が増したのではないでしょうか?
ちなみに、1時間ほどで、
十分にエンジョイできる施設だと思います。
スポット情報
スポット | 摩耶山天上寺(忉利天上寺) |
---|---|
住所 | 兵庫県神戸市灘区摩耶山町2-12 |
拝観時間 | 9:00~17:00 |
入場料 | 無料 |
電話番号 | 078-861-2684 |
駐車場 | 有(有料駐車場500円) |
地図です
行き方
交通手段ですが、車で訪れるのが一般的だと思います。
他には、
冒頭で説明した、
摩耶山掬星台のある、摩耶展望広場(星の駅)に停まる
摩耶山の標高は702mです。
掬星台までだと、標高は690mです。
あと、摩耶山天上寺前に停まるバス停もあります。
自転車とか、バイクの人もいましたよ。
おまけ
このブログを、
こんな最後まで読んでいる、
、
そこのあなた!
、
きっと
と感じているのではないでしょうか?
では、いつ行けば良いのでしょうか?
そのタイミングを
私なら、
本当です。
ぜひ、最後まで見てください。
では、
、
発表します!
摩耶山天上寺にいつ行くか?
それは、
、
い、
、
い、
、
い、
、
、
、
、
、
、
怒らないでね。