目次を作ってみました
はじめに
先日、以前から訪れたかった出雲大社に、参拝することができました。
そして、御祭神である大国主が出雲から逃れて、
スサノオに認められて名前を授けてもらうまでの古事記を、
簡単にまとめるつもりでしたが、古事記と絡めてしまったため、
1記事で終えることができませんでした。
と固く決意しておりますが、
実際どうなるか?
ぜひ最後まで見てね。
大国主帰還
黄泉の国から脱出の際、スサノオから、
こう言われた大国主は、出雲の国に帰ってきます。
それは、兄である八十神達を出し抜いて、ヤガミヒメと結婚したため、
その恨みを買い、何度も殺され、滅ぼされそうになったためでした。
しかし、大国主はもうあの頃の流されやすい、人の良いだけの青年ではありません。
スサノオからの多くの試練を乗り越え、宝の武器を盗み、出雲の統治を認めれれるほどの人物に成長していました。
八十神と対峙した大国主は違和感を抱きます。
かつては、何度も殺され、逃げることしか出来なかった大国主でしたが、
黄泉の国で多くの試練を乗り越えた今、怯むどころか、
立ち向かえるだけの自信と力を身につけていたのです。
八十神退治
こうして、戦いの火蓋が切られました。
この戦いは、恋に破れた嫉妬からくる私闘だけではなくなっていました。
戦いの直前、大国主の脳裏に、スサノオのアドバイスがよぎります。
大国主はスサノオから盗んだ宝物、生大刀・生弓矢を手に、八十神達に挑みます。
生太刀、生弓矢とは、生き生きとした生命力のある武器で、
大国主に大きな力を与えました。
八十神達を山に川に、次々と追い詰めていきます。
大国主は、迷うことなく八十神達を倒しました。
八千矛神
さて、国作りと比例して、大国主は婚姻に積極的でした。
どれくらい恋多かったかというと、八千矛神(やちほこのかみ)、という異名を持つほどでした。
男として、たくさんの武器を持っている、という意味でしょうか。
まず、最初の妻である、八上比売(ヤガミヒメ)は、
大国主が、根の堅州国から、新妻・須勢理毘売(スセリビメ)を連れ帰ってきたので、
彼女の嫉妬を恐れ、我が子を残し、実家の因幡国に帰ってしまいました。
そして大国主は、正妻・須勢理毘売(スセリビメ)と改めて結婚します。
大国主と、須勢理毘売(スセリビメ)の結婚式の様子ですね。
ただ大国主は、このまま一夫一婦制の結婚制度を遵守したわけではなく、
遠くに美女の存在の噂を聞けば、駆け付けて口説いて結婚する、
という行為を繰り返しておりました。
最終的に、各地で出来た子供は180人以上と言われています。
と聞くと、
と怒る女性読者もいるのではないでしょうか?
私も男として、羨ましい、
擁護するわけではないのですが、
国作り、つまり自国の領土を拡大していき、地盤を固めるには、
国王と現地の有力者との娘との婚姻は、有効な手段であったと考えられます。
つまり、新しい土地で新たに結婚する→子供が生まれる→地盤が固まる、
このようなイメージでしょうか。
少名毘古那神(スクナビコナ)
さて、出雲大社から北東に約70㎞離れた島根県松江市美保関にある、
美保神社にも参拝してきました。
御祭神は、大国主の息子であり、
「えびす様」の別名で知られる、
事代主神(コトシロヌシ)が祭られています。
えびす様、というと、どのような神様か想像しやすいですね。
さて、そんな島根県松江市美保関に、大国主が訪れて海を眺めておりました。
すると、
海の先に、手のひらほどの大きさの船に乗った、親指程度の大きさの神がやってくるのが見えました。
大国主が語りかけても、その小さな神は答えません。
この小さな神が何者なのか、手を尽くして調べてみると、
どうやら、神産巣日之命(カムムスヒノミコト)の子供の、
少名毘古那神(スクナビコナ)であることがわかりました。
そして、
では、なぜ美保関に現れたのでしょうか?
関係を想像
わかりやすくするために、例え話をします。
あくまで、わかりやすくするため、と思ってください。
その高天原株式会社は、3柱の偉い社長が、設立しました。
・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) – 至高の神
・高御産巣日神(たかみむすひのかみ) – 天の生産・生成の「創造」の神。神産巣日神と対になって男女の「むすび」の男を象徴する神
・神産巣日神(かみむすひのかみ) – 地の生産・生成の「創造」の神。高御産巣日神と対になって男女の「むすび」の女を象徴する神
この3社長は、高天原株式会社を設立すると、表舞台から姿をお隠しになりました。
そこから、時は流れます。
このイザナギ、イザナミの2柱を、高天原株式会社の常務夫妻と例えます。
この常務夫妻は、社員を積極的に登用し、高天原株式会社は発展しました。
そして、イザナギ(常務)は、自身の優秀な子、
天照大御神(あまてらすおおみかみ)に会社の経営を託します。
与えた役職は、営業部長といったところでしょうか。
高天原株式会社は、次第に営業部長の天照大御神(あまてらすおおみかみ)が権力を掌握していく形になっていきます。
そして、経営がよく乱れている海原の部署は、
弟のスサノオが海原事業部の事業部長として任命されますが、
とわがままを言って、海原を統治しなかったので、海はよく荒れることになってしまいました。
そして、会社を追われ、出雲の地に降り立ったスサノオは、
ヤマタノオロチを退治し、新たに出雲株式会社を設立します。
そして、時は流れ、この出雲株式会社を
新たに経営していくことになったのが、新社長、
関係を整理
つまり、大会社・高天原株式会社の3社長の1柱、神産巣日之命(カムムスヒノミコト)の子供が、
どうやら、少名毘古那神(スクナビコナ)は、元気な神様であったようで、
親の神産巣日之命(カムムスヒノミコト)のもとから、こっそり家出して来ていました。
そして、比較的新しい、ベンチャー企業・出雲株式会社の社長が、
このような立場の2柱の神様が、こうして島根県松江市美保関で出会ったわけです。
大国主の国作り
例え話をもう少しだけ継続します。
こんな関係性の2柱の神様が出会うと、どうなるのでしょうか?
それは、ずばり!
少名毘古那神(スクナビコナ)は、大国主の良き相棒として、国造りに参加します。
その功績は、日本各地に伝説として語り継がれています。
ちなみに、少名毘古那神(スクナビコナ)は、医薬や温泉、酒造りなどの神様としての性質を持ちます。
それだけ、知識が豊富であったということでしょう。
少名毘古那神(スクナビコナ)の助力を得た大国主は、国作りをどんどん加速させます。
それだけ2柱の神様の相性が良かったと言えますね。
別れ
大国主と少名毘古那神(スクナビコナ)は、ともに協力して、国作りをあと一歩というところまで進めました。
しかし、そんなときでした。
少名毘古那神(スクナビコナ)は、また新たな使命を帯びたのでしょうか。
常世の国とは、一体どこの国のことでしょうか?
一説には、海の彼方にあるとされる異世界と言われています。
現実的には、沖縄とか、朝鮮半島のことでしょうか。
これまで、国作りにとても協力してくれた少名毘古那神(スクナビコナ)です。
大国主は、悲しみをこらえて、少名毘古那神(スクナビコナ)を送り出したのでした。
ムスビの御神像
出雲大社を訪れて、個人的に絶対に写真撮影したい!と思っていた代表的なモニュメントです。
撮影した感想は、
と思いました。
想像していたより、1.5倍くらい大きかった印象です。
別れを越えて
大国主は、少名毘古那神(スクナビコナ)を失い、悲しみに暮れながら海を眺めておりました。
そんなとき、大国主の視線の先、海を照らしながらやって来る神がありました。
その神は大国主に言いました。
いきなり現れて、丁寧に祭れ、というのは強気なような感じもしますね。
大国主は条件を承諾します。
と告げます。
この神は御諸山にいる神です、と古事記にあります。
大神神社のHPを参照します。
大物主は、農業、工業、商業すべての産業開発、 方除(ほうよけ)、治病、造酒、製薬、禁厭(まじない)、交通、航海、縁結びなど世の中の幸福を増し進めることを計られた人間生活の守護神として尊崇(そんすう)されています。
とのことです。
こうして、大国主は多くの助力を得て、
葦原中国(あしはらのなかつくに)を完成させました。
葦原中国(あしはらのなかつくに)とは、
と、
の間、
葦原中国(あしはらのなかつくに)は、土地は豊かで作物が実り、食物に恵まれ、あらゆるものが豊かに力強く在る国で、大変な賑わいを見せるのでした。
そして、その発展した様子は、天界・高天原にも届いていきます。
幸魂奇魂
さて、上記の「ムスビの御神像」の前に、ある説明文が設置されていました。
幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)
時に海を照らして依り来る神あり
吾在るに由りての故に汝その國
造りの大業を建つるを得たり
吾は汝が幸魂奇魂なり
大國主神これ吾が幸魂奇魂なり
けりと知りぬ
古事記また日本書紀に述べるところであります。
出雲大社の御祭神大國主大神はこの幸魂奇魂の ”おかげ” をいただいて、
神性を養われ「ムスビの大神」となられました。
生きとし生けるものすべてが幸福になる
「縁」を結ぶ”えんむすびの神”と慕われるゆえんであります。
およそ人が人であるということは幸魂奇魂という
ムスビの”みたま”をわが身にいただいて
霊止すなわち人として生かされているからであります。
大神からいただいたこの”いのち”を感謝して
大切に正しくこれを生かしきりましょう。
出雲大社ではこの御神教にちなんで
さきみたま くしみたま
まもりたまひ さきはへたまへ
と唱して御神縁を祈念いたします。
この「ムスビの御神様」は大國主大神が有難く
「幸魂奇魂」を拝載される由縁を象徴しております。
とのことです。
まとめ
一体、どういう意味なのでしょうか?
ちょっと難しいので、簡単に言いますと、
幸魂(さきみたま)‥‥愛情、慈愛
奇魂(くしみたま)‥‥智恵・知識
要約してみます。
大国主は、多くの助けを得て、国作りを完成させました。
それは、多くの縁を結んだからでもあります。
この“縁”は男女の縁だけではなく、
つまり、幸魂(さきみたま)→愛、だけでなく、
生きとし生けるものが共に豊かに栄えるための知識を得る“縁”
つまり、奇魂(くしみたま)→智、
の“縁”もあります。
大国主はこの縁を大切にし、かつ、正しく生かした神様なのです。
まとめ2
大国主は、縁結びの神様として、信仰されていますが、
こういう経緯があったからなんですね。
出雲大社に参拝する際は、
さきみたま(幸魂) くしみたま(奇魂)
まもりたまひ さきはへたまへ
国譲り
大国主が作り上げた、葦原中国(あしはらのなかつくに)の発展は、遠く天界の高天原にも届きます。
当然、それは高天原の実質的な支配者、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の耳にも入りました。
という考えに、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は至ります。
という考えでしょう。
早速、高天原から国を譲るよう使者を派遣することとなりました。
使者1・天穂日命(アメノホヒ)
高天原からの使者を大国主は歓迎します。
今の大国主は、若く純粋な少年ではありません。
国作りを終え、平和を愛しながらも、実績と手練手管を備えた英傑に成長していました。
という、大国主の提案を
天穂日命(アメノホヒ)は承諾します。
これこそが、大国主の作戦でした。
結果として、天穂日命(アメノホヒ)は、大国主の魅力に心酔し、そのまま葦原中国(あしはらのなかつくに)に住むことになってしまいました。
この天穂日命(アメノホヒ)の子孫といわれています
使者2・天若日子(あめのわかひこ)
という、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の不安は的中しています。
次男の天穂日命(アメノホヒ)は、すっかり大国主に取り込まれておりました。
今度は高天原で、若くて有能で野心家の、天若日子(あめのわかひこ)が派遣されます。
今度も高天原からの使者を大国主は歓迎します。
大国主の提案にされ、天若日子(あめのわかひこ)の心に、ある野心が芽生えます。
娘の下照比売(シタテルヒメ)と結婚し、大国主の後継ぎとなって、自分が葦原中国(あしはらのなかつくに)の王になろうと考えたのです。
ただ、そんな考えをも、大国主は見抜いています。
こうして、天若日子(あめのわかひこ)は、天穂日命(アメノホヒ)と同様に、葦原中国(あしはらのなかつくに)に定住してしまいました。
それから、8年が経過しました。
という、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の不安は的中しています。
天若日子(あめのわかひこ)は、大国主の娘、下照比売(シタテルヒメ)と結婚し、自分が葦原中国(あしはらのなかつくに)の王になろうという野心を抱きながらも、幸せに暮らしておりました。
すでに、高天原に対する忠誠心はありませんでした。
使者3・建御雷神(タケミカヅチ)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の心がいくら広いといっても、3度の失敗は許されません。
今度は、自身の最も信頼する腹心、建御雷神(タケミカヅチ)を派遣することを決意しました。
高天原を会社に例えるなら、建御雷神(タケミカヅチ)は
営業一課の課長、
会社のエース、
会社で1番のやり手、
それほどの神を派遣するといったイメージでOKです。
稲佐の浜
日々、人々が集まる観光スポットですね。
さぁ、そんな美しい稲佐の浜に、建御雷神(タケミカヅチ)が降り立ちました。
大国主は、今回の使者が一筋縄ではいかないことを一瞬で見抜きました。
大国主は、これまで多くの経験を積み、神格では負けないつもりでしたが、相手は最強の武神です。
実際に戦って勝てるかどうかを推し量ります。
建御雷神(タケミカヅチ)を牽制しつつ、大国主は思います。
という思いに至りました。
事代主神(コトシロヌシ)
前述しました、島根県松江市美保関にある、美保神社の御祭神です。
建御雷神(タケミカヅチ)は、直ちに、事代主神(コトシロヌシ)に会うため、美保関を訪れます。
事代主神(コトシロヌシ)は大抵、釣りをしていて、どこにいるのかわからないのですが、
建御雷神(タケミカヅチ)はすぐに見つけます。
建御雷神(タケミカヅチ)の迫力に、事代主神(コトシロヌシ)はすっかり気圧されています。
と、あっさり承諾すると、
船を傾けて逃げるように隠れてしまいました。
これは臆病であると言えるかもしれませんが、
同時に、相手の力量を正確に理解しているという冷静な面もあります。
建御名方神(タケミナカタ)
苦労して作った国ですが、我が子が良いと言ったのなら、それも世の流れ、仕方ないと大国主は思いました。
そして、力自慢のもう一柱の息子を思い浮かべました。
そんな建御名方神(タケミナカタ)は、千人が引いてやっと動くような大きな岩を、
手の先でもてあそびながらやってきました。
建御名方神(タケミナカタ)が、建御雷神(タケミカヅチ)をひねり潰そうと、その手をつかみます。
すると、建御雷神(タケミカヅチ)の手が氷の剣に変化しました。
建御名方神(タケミナカタ)は恐ろしくなり、慌てて手を引きます。
今度は建御雷神(タケミカヅチ)が、建御名方神(タケミナカタ)の腕をつかみます。
そして、建御名方神(タケミナカタ)の腕を草のように握りつぶし、投げ飛ばしました。
とてもかなわないと感じて、建御名方神(タケミナカタ)は慌てて逃げていきます。
逃げる、建御名方神(タケミナカタ)。
追いかける、建御雷神(タケミカヅチ)。
そして、建御名方神(タケミナカタ)は敗北を認めます。
国譲り
出雲に帰ってきた、建御雷神(タケミカヅチ)は大国主に問います。
これも世の流れ、仕方ないと大国主は思いました。
そのとき、かつてスサノオに言われた言葉が脳裏をよぎりました。
別れ際に言われた、スサノオの言いつけを守れていなかったことを思い出しました。
こうして、
出雲大社は建てられました。
高天原に国を譲った後の大国主は、今現在も出雲大社にてお鎮まりになっています。
そして、目に見えない世界を司り、
そこにはたらく「むすび」の御霊力によって人々の幸福を導き、
慈愛をそそいで下さることになりました。
だから今でも我々の厚い信仰をお受けになっているんですね。
さきみたま(幸魂) くしみたま(奇魂)
まもりたまひ さきはへたまへ
機会があれば、出雲大社に参拝に訪れるのは、いかがでしょうか。
おまけ
さて今回も、
と言いながら、長々と書いてしまいました。
出来るだけわかりやすく書いたつもりですが、いかがでしたでしょうか?
実際に出雲大社を訪れて、こうして大国主の物語を最後まで書くことができて、個人的にはとても満足しています。
、
え?
実際に出雲大社に参拝して、良い縁に恵まれたのかって?
それはですね、
こうして、あなたがこの文章を読んでくれているのが、
また見てね。
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