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出雲大社から、大国主の国作り伝説を体感する(後編)

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

はじめに

先日、以前から訪れたかった出雲大社に、参拝することができました。
そして、御祭神である大国主が出雲から逃れて、
スサノオに認められて名前を授けてもらうまでの古事記を、

ヤサイ
ヤサイ
私の参拝と絡めて記事にしました
出雲大社から、大国主の国作り伝説を体感する(前編)このブログは、兵庫県の神社を紹介するブログですが、 そのために、どうしても という思いを秘めておりました。 先日は...
ヤサイ
ヤサイ
前編です、ぜひ見てね

簡単にまとめるつもりでしたが、古事記と絡めてしまったため、
1記事で終えることができませんでした。

ヤサイ
ヤサイ
今度こそ短く書くぞ!

と固く決意しておりますが、
実際どうなるか?
ぜひ最後まで見てね。


大国主帰還

黄泉の国から脱出の際、スサノオから、

スサノオ
スサノオ
娘の須勢理毘売(スセリヒメ)を正妻にして、国を治めろ、お前が王になれ!

こう言われた大国主は、出雲の国に帰ってきます。

ヤサイ
ヤサイ
彼はなぜ、出雲の国を出たのでしょうか?

それは、兄である八十神達を出し抜いて、ヤガミヒメと結婚したため、
その恨みを買い、何度も殺され、滅ぼされそうになったためでした。
しかし、大国主はもうあの頃の流されやすい、人の良いだけの青年ではありません。
スサノオからの多くの試練を乗り越え、宝の武器を盗み、出雲の統治を認めれれるほどの人物に成長していました。

八十神
八十神
よく戻ってきたな、大国主。いい度胸だぜ

八十神と対峙した大国主は違和感を抱きます。

オオクニヌシ
オオクニヌシ
あれ、スサノオさんに比べたら、八十神の兄さん達は、全然大したことがないぞ

かつては、何度も殺され、逃げることしか出来なかった大国主でしたが、
黄泉の国で多くの試練を乗り越えた今、怯むどころか、
立ち向かえるだけの自信と力を身につけていたのです。

八十神退治

八十神
八十神
覚悟しろよ、大国主!
オオクニヌシ
オオクニヌシ
よし、勝負だ!

こうして、戦いの火蓋が切られました。
この戦いは、恋に破れた嫉妬からくる私闘だけではなくなっていました。

ヤサイ
ヤサイ
出雲の国の王を決める重要な戦いでもあったのです!

戦いの直前、大国主の脳裏に、スサノオのアドバイスがよぎります。

スサノオ
スサノオ
いいか、オオクニヌシ!お前が持ってる生大刀・生弓矢を使って、兄達の八十神をやっつけろ。今のお前ならできる

大国主はスサノオから盗んだ宝物、生大刀・生弓矢を手に、八十神達に挑みます。
生太刀、生弓矢とは、生き生きとした生命力のある武器で、
大国主に大きな力を与えました。
八十神達を山に川に、次々と追い詰めていきます。

八十神
八十神
チキショー!こんなはずじゃなかったのに、、。このままじゃ負けてしまう、、。
オオクニヌシ
オオクニヌシ
兄さん達、俺が出雲の国の王になるよ

大国主は、迷うことなく八十神達を倒しました。

ヤサイ
ヤサイ
こうして、大国主が出雲の国の王になり、その国作りが始まります

八千矛神

さて、国作りと比例して、大国主は婚姻に積極的でした。

ヤサイ
ヤサイ
つまり、女性にモテモテでした

どれくらい恋多かったかというと、八千矛神(やちほこのかみ)、という異名を持つほどでした。
男として、たくさんの武器を持っている、という意味でしょうか。
まず、最初の妻である、八上比売(ヤガミヒメ)は、
大国主が、根の堅州国から、新妻・須勢理毘売(スセリビメ)を連れ帰ってきたので、
彼女の嫉妬を恐れ、我が子を残し、実家の因幡国に帰ってしまいました。
そして大国主は、正妻・須勢理毘売(スセリビメ)と改めて結婚します。

ヤサイ
ヤサイ
この写真は、出雲大社に設置された縁むすびの碑です

大国主と、須勢理毘売(スセリビメ)の結婚式の様子ですね。
ただ大国主は、このまま一夫一婦制の結婚制度を遵守したわけではなく、
遠くに美女の存在の噂を聞けば、駆け付けて口説いて結婚する、
という行為を繰り返しておりました。
最終的に、各地で出来た子供は180人以上と言われています。
と聞くと、

女性読者
女性読者
なんてだらしのない神様なの!

と怒る女性読者もいるのではないでしょうか?

私も男として、羨ましい、

ヤサイ
ヤサイ
じゃなかったっ!

擁護するわけではないのですが、
国作り、つまり自国の領土を拡大していき、地盤を固めるには、
国王と現地の有力者との娘との婚姻は、有効な手段であったと考えられます。
つまり、新しい土地で新たに結婚する→子供が生まれる→地盤が固まる、
このようなイメージでしょうか。

ヤサイ
ヤサイ
大国主と須勢理毘売(スセリビメ)の夫婦仲は良かったそうですので、男として甲斐性があったのでしょう

少名毘古那神(スクナビコナ)

さて、出雲大社から北東に約70㎞離れた島根県松江市美保関にある、
美保神社にも参拝してきました。
御祭神は、大国主の息子であり、
「えびす様」の別名で知られる、
事代主神(コトシロヌシ)が祭られています。

ヤサイ
ヤサイ
敷地をでると、すぐ海に面した海の香り漂う神社です
ヤサイ
ヤサイ
お面が飾られていたので、撮影しました

えびす様、というと、どのような神様か想像しやすいですね。

さて、そんな島根県松江市美保関に、大国主が訪れて海を眺めておりました。
すると、

オオクニヌシ
オオクニヌシ
おや、あれはなんだろう?

海の先に、手のひらほどの大きさの船に乗った、親指程度の大きさの神がやってくるのが見えました。

スクナビコナ
スクナビコナ
‥‥‥‥‥‥‥‥‥
オオクニヌシ
オオクニヌシ
おーい、君は一体誰なんだい?
スクナビコナ
スクナビコナ
‥‥‥‥‥‥‥‥‥

大国主が語りかけても、その小さな神は答えません。
この小さな神が何者なのか、手を尽くして調べてみると、
どうやら、神産巣日之命(カムムスヒノミコト)の子供の、
少名毘古那神(スクナビコナ)であることがわかりました。

ヤサイ
ヤサイ
神産巣日之命(カムムスヒノミコト)は、大国主が八十神に殺されたとき、甦らせるために女神を派遣してくれた偉い神様ですね

そして、

ヤサイ
ヤサイ
少名毘古那神(スクナビコナ)は、おとぎ話「一寸法師」のモデルにもなった神様なんです

では、なぜ美保関に現れたのでしょうか?

関係を想像

わかりやすくするために、例え話をします。
あくまで、わかりやすくするため、と思ってください。

ヤサイ
ヤサイ
仮に、高天原(たかまがはら)株式会社という会社があったとしますね

その高天原株式会社は、3柱の偉い社長が、設立しました。
・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) – 至高の神
・高御産巣日神(たかみむすひのかみ) – 天の生産・生成の「創造」の神。神産巣日神と対になって男女の「むすび」の男を象徴する神
・神産巣日神(かみむすひのかみ) – 地の生産・生成の「創造」の神。高御産巣日神と対になって男女の「むすび」の女を象徴する神

この3社長は、高天原株式会社を設立すると、表舞台から姿をお隠しになりました。

そこから、時は流れます。

ヤサイ
ヤサイ
兵庫県・淡路島のサービスエリアで撮影した、イザナギ、イザナミの国生み神話が描かれた石碑です

このイザナギ、イザナミの2柱を、高天原株式会社の常務夫妻と例えます。
この常務夫妻は、社員を積極的に登用し、高天原株式会社は発展しました。

ヤサイ
ヤサイ
しかし、事故によりイザナミ(常務夫人)が亡くなり、イザナギ(常務)は会社の経営から身を引きます

そして、イザナギ(常務)は、自身の優秀な子、
天照大御神(あまてらすおおみかみ)に会社の経営を託します。
与えた役職は、営業部長といったところでしょうか。

アマテラス
アマテラス
役職は営業部長でも、実質的に高天原株式会社は、私が仕切っていくわ

高天原株式会社は、次第に営業部長の天照大御神(あまてらすおおみかみ)が権力を掌握していく形になっていきます。

そして、経営がよく乱れている海原の部署は、
弟のスサノオが海原事業部の事業部長として任命されますが、

スサノオ
スサノオ
そんなことより、亡くなったイザナミ母さんに会いたいよぉ

とわがままを言って、海原を統治しなかったので、海はよく荒れることになってしまいました。

ヤサイ
ヤサイ
このように、スサノオは仕事をしなかったので、高天原株式会社を解雇されました

そして、会社を追われ、出雲の地に降り立ったスサノオは、


ヤマタノオロチを退治し、新たに出雲株式会社を設立します。
そして、時は流れ、この出雲株式会社を
新たに経営していくことになったのが、新社長、

ヤサイ
ヤサイ
大国主というわけです!

関係を整理

つまり、大会社・高天原株式会社の3社長の1柱、神産巣日之命(カムムスヒノミコト)の子供が、

スクナビコナ
スクナビコナ
少名毘古那神(スクナビコナ)だよ

どうやら、少名毘古那神(スクナビコナ)は、元気な神様であったようで、
親の神産巣日之命(カムムスヒノミコト)のもとから、こっそり家出して来ていました。

そして、比較的新しい、ベンチャー企業・出雲株式会社の社長が、

オオクニヌシ
オオクニヌシ
大国主です

このような立場の2柱の神様が、こうして島根県松江市美保関で出会ったわけです。

大国主の国作り

例え話をもう少しだけ継続します。

スクナビコナ
スクナビコナ
大企業の御曹司です
オオクニヌシ
オオクニヌシ
ベンチャー企業の社長です

こんな関係性の2柱の神様が出会うと、どうなるのでしょうか?

それは、ずばり!

ヤサイ
ヤサイ
とっても仲良くなりました!

少名毘古那神(スクナビコナ)は、大国主の良き相棒として、国造りに参加します。
その功績は、日本各地に伝説として語り継がれています。

ヤサイ
ヤサイ
兵庫県に残された伝説は、また調査してブログ記事にしますね

ちなみに、少名毘古那神(スクナビコナ)は、医薬や温泉、酒造りなどの神様としての性質を持ちます。
それだけ、知識が豊富であったということでしょう。

ヤサイ
ヤサイ
大国主の良き相棒であり、優秀な軍師であったのでしょうね

少名毘古那神(スクナビコナ)の助力を得た大国主は、国作りをどんどん加速させます。
それだけ2柱の神様の相性が良かったと言えますね。

別れ

オオクニヌシ
オオクニヌシ
よし!もう少しで国作りが完成するぞ!

大国主と少名毘古那神(スクナビコナ)は、ともに協力して、国作りをあと一歩というところまで進めました。
しかし、そんなときでした。

スクナビコナ
スクナビコナ
ごめん、大国主、、。
オオクニヌシ
オオクニヌシ
どうした?
スクナビコナ
スクナビコナ
僕はこれから、行かなきゃいけないところができたんだ
そ、そんな、

少名毘古那神(スクナビコナ)は、また新たな使命を帯びたのでしょうか。

オオクニヌシ
オオクニヌシ
一体、どこに行くと言うんだ?
スクナビコナ
スクナビコナ
常世の国に行かなきゃいけないんだ

常世の国とは、一体どこの国のことでしょうか?
一説には、海の彼方にあるとされる異世界と言われています。
現実的には、沖縄とか、朝鮮半島のことでしょうか。

ヤサイ
ヤサイ
我々現代人の感覚に例えると、宇宙に仕事が出来たから、行かなくちゃいけないんだ、と言っているのに近いかもしれません
オオクニヌシ
オオクニヌシ
そうか、残念だよ

これまで、国作りにとても協力してくれた少名毘古那神(スクナビコナ)です。

オオクニヌシ
オオクニヌシ
さよなら、少名毘古那神(スクナビコナ)。元気でな

大国主は、悲しみをこらえて、少名毘古那神(スクナビコナ)を送り出したのでした。

ムスビの御神像

ヤサイ
ヤサイ
下の画像は、出雲大社に設置された代表的なモニュメントの「ムスビの御神像」です。
ヤサイ
ヤサイ
後ろからのアングルもあるので、どうぞ


出雲大社を訪れて、個人的に絶対に写真撮影したい!と思っていた代表的なモニュメントです。
撮影した感想は、

ヤサイ
ヤサイ
思ったより、大国主の像が大きい!

と思いました。
想像していたより、1.5倍くらい大きかった印象です。

別れを越えて

オオクニヌシ
オオクニヌシ
少名毘古那神(スクナビコナ)がいなくなった今、私1人でどうやって国作りをしたら良いのだろうか

大国主は、少名毘古那神(スクナビコナ)を失い、悲しみに暮れながら海を眺めておりました。

ヤサイ
ヤサイ
それだけ、少名毘古那神(スクナビコナ)の存在が大きかったのでしょう

そんなとき、大国主の視線の先、海を照らしながらやって来る神がありました。

ヤサイ
ヤサイ
この画像は、その様子を現わしたモニュメントだったのですね
ヤサイ
ヤサイ
波の上に乗った金色の珠が、神様を表現しているようですね

その神は大国主に言いました。

オオモノヌシ
オオモノヌシ
私を丁寧に祭るのであれば、わたしはあなたと共に、国を作ろう。もしそうしないのであれば、国作りはうまくいかないだろう

いきなり現れて、丁寧に祭れ、というのは強気なような感じもしますね。

ヤサイ
ヤサイ
ただ、少名毘古那神(スクナビコナ)を失った大国主には、渡りに船でした

大国主は条件を承諾します。

オオクニヌシ
オオクニヌシ
では、どのように祭れば良いでしょうか?
オオモノヌシ
オオモノヌシ
私を大和の国を取り囲んでいる、東の山に祭りなさい

と告げます。

この神は御諸山にいる神です、と古事記にあります。

ヤサイ
ヤサイ
御諸山にいる神、それはつまり、奈良県の三輪山に祭られている、大神神社の御祭神、大物主神(おおものぬしのかみ)であったのです

大神神社のHPを参照します。
大物主は、農業、工業、商業すべての産業開発、 方除(ほうよけ)、治病、造酒、製薬、禁厭(まじない)、交通、航海、縁結びなど世の中の幸福を増し進めることを計られた人間生活の守護神として尊崇(そんすう)されています。

とのことです。

ヤサイ
ヤサイ
少名毘古那神(スクナビコナ)と同様、国作りを行うのに、とても頼りになる神でした

こうして、大国主は多くの助力を得て、

オオクニヌシ
オオクニヌシ
良し!やっと国作りが完成したぞ!

葦原中国(あしはらのなかつくに)を完成させました。
葦原中国(あしはらのなかつくに)とは、

アマテラス
アマテラス
天照大御神(あまてらすおおみかみ)のいる、天界・高天原

と、

スサノオ
スサノオ
スサノオのいる、黄泉の地下世界、根の堅州国(ねのかたすくに)

の間、

ヤサイ
ヤサイ
地上世界をイメージしていただければ良いと思います

葦原中国(あしはらのなかつくに)は、土地は豊かで作物が実り、食物に恵まれ、あらゆるものが豊かに力強く在る国で、大変な賑わいを見せるのでした。
そして、その発展した様子は、天界・高天原にも届いていきます。

幸魂奇魂

さて、上記の「ムスビの御神像」の前に、ある説明文が設置されていました。

ヤサイ
ヤサイ
読んでみましょう!

幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま) 
時に海を照らして依り来る神あり
吾在るに由りての故に汝その國
造りの大業を建つるを得たり
吾は汝が幸魂奇魂なり
大國主神これ吾が幸魂奇魂なり
けりと知りぬ

古事記また日本書紀に述べるところであります。
出雲大社の御祭神大國主大神はこの幸魂奇魂の ”おかげ” をいただいて、
神性を養われ「ムスビの大神」となられました。
生きとし生けるものすべてが幸福になる
「縁」を結ぶ”えんむすびの神”と慕われるゆえんであります。
およそ人が人であるということは幸魂奇魂という
ムスビの”みたま”をわが身にいただいて
霊止すなわち人として生かされているからであります。
大神からいただいたこの”いのち”を感謝して
大切に正しくこれを生かしきりましょう。
出雲大社ではこの御神教にちなんで
さきみたま くしみたま
まもりたまひ さきはへたまへ
と唱して御神縁を祈念いたします。
この「ムスビの御神様」は大國主大神が有難く
「幸魂奇魂」を拝載される由縁を象徴しております。

とのことです。

まとめ

ヤサイ
ヤサイ
正直、よくわかりませんね

一体、どういう意味なのでしょうか?
ちょっと難しいので、簡単に言いますと、
幸魂(さきみたま)‥‥愛情、慈愛
奇魂(くしみたま)‥‥智恵・知識

ヤサイ
ヤサイ
漠然と、このようなイメージで良いと思います

要約してみます。
大国主は、多くの助けを得て、国作りを完成させました。
それは、多くの縁を結んだからでもあります。
この“縁”は男女の縁だけではなく、
つまり、幸魂(さきみたま)→愛、だけでなく、
生きとし生けるものが共に豊かに栄えるための知識を得る“縁”
つまり、奇魂(くしみたま)→智、
の“縁”もあります。
大国主はこの縁を大切にし、かつ、正しく生かした神様なのです。

ヤサイ
ヤサイ
という、解釈でどうでしょうか

まとめ2

大国主は、縁結びの神様として、信仰されていますが、
こういう経緯があったからなんですね。

出雲大社に参拝する際は、

さきみたま(幸魂) くしみたま(奇魂)
まもりたまひ さきはへたまへ

ヤサイ
ヤサイ
と唱えて参拝すると、良い縁がいただけるかもしれません

国譲り

大国主が作り上げた、葦原中国(あしはらのなかつくに)の発展は、遠く天界の高天原にも届きます。
当然、それは高天原の実質的な支配者、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の耳にも入りました。

アマテラス
アマテラス
なんだか、地上世界が発展しているみたいだけど、もともとは弟のスサノオから始まった国だから、我々、高天原の神々が治めるべきじゃないかしら

という考えに、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は至ります。

ヤサイ
ヤサイ
要は、他国の発展に嫉妬した結果、良いところをいただいてしまおう

という考えでしょう。
早速、高天原から国を譲るよう使者を派遣することとなりました。

使者1・天穂日命(アメノホヒ)

アメノホヒ
アメノホヒ
どうも、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の次男の天穂日命(アメノホヒ)です
オオクニヌシ
オオクニヌシ
ようこそ、いらっしゃいました

高天原からの使者を大国主は歓迎します。
今の大国主は、若く純粋な少年ではありません。
国作りを終え、平和を愛しながらも、実績と手練手管を備えた英傑に成長していました。

アメノホヒ
アメノホヒ
さっそくですが、大国主殿。見事に発展したこの、葦原中国(あしはらのなかつくに)を、我ら高天原にお譲りいただきたい
オオクニヌシ
オオクニヌシ
ふむ、いきなり譲れと言われましても。天穂日命(アメノホヒ)殿、まずは、この葦原中国(あしはらのなかつくに)を、ちゃんと見ていかれませんか
アメノホヒ
アメノホヒ
ちゃんと見るとは、どういうことでしょうか?
オオクニヌシ
オオクニヌシ
実際に住んでみて、この国が、高天原の神々にお譲りするのに、ふさわしいかどうか、確かめていただきたいのですよ

という、大国主の提案を

アメノホヒ
アメノホヒ
わかりました

天穂日命(アメノホヒ)は承諾します。
これこそが、大国主の作戦でした。
結果として、天穂日命(アメノホヒ)は、大国主の魅力に心酔し、そのまま葦原中国(あしはらのなかつくに)に住むことになってしまいました。

ヤサイ
ヤサイ
そして現在でも、天穂日命(アメノホヒ)は、出雲大社の摂社の神様として祭られています
ヤサイ
ヤサイ
ちなみに代々、出雲大社の宮司を務めるのは、
この天穂日命(アメノホヒ)の子孫といわれています

使者2・天若日子(あめのわかひこ)

アマテラス
アマテラス
天穂日命(アメノホヒ)を派遣して、3年が経っているのに、音沙汰がないんですけど

という、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の不安は的中しています。
次男の天穂日命(アメノホヒ)は、すっかり大国主に取り込まれておりました。

ヤサイ
ヤサイ
というわけで、第2の使者が派遣されます

今度は高天原で、若くて有能で野心家の、天若日子(あめのわかひこ)が派遣されます。

どうも、天若日子(あめのわかひこ)です
オオクニヌシ
オオクニヌシ
やぁ、ようこそ、いらっしゃいました

今度も高天原からの使者を大国主は歓迎します。

アメノワカヒコ
アメノワカヒコ
さっそくですが、大国主殿。見事に発展したこの、葦原中国(あしはらのなかつくに)を、我ら高天原にお譲りいただきたい
オオクニヌシ
オオクニヌシ
では、実際に住んでみて、この国が、高天原の神々にお譲りするのに、ふさわしいかどうか、確かめていただけますか
アメノワカヒコ
アメノワカヒコ
ほう、住む、ですか、。
オオクニヌシ
オオクニヌシ
えぇ、お一人ではなにかと不便でしょう。我が娘の下照比売(シタテルヒメ)にお世話をさせましょう

大国主の提案にされ、天若日子(あめのわかひこ)の心に、ある野心が芽生えます。
娘の下照比売(シタテルヒメ)と結婚し、大国主の後継ぎとなって、自分が葦原中国(あしはらのなかつくに)の王になろうと考えたのです。
ただ、そんな考えをも、大国主は見抜いています。

オオクニヌシ
オオクニヌシ
若者は野心があるくらいで、ちょうど良いのさ

こうして、天若日子(あめのわかひこ)は、天穂日命(アメノホヒ)と同様に、葦原中国(あしはらのなかつくに)に定住してしまいました。
それから、8年が経過しました。

アマテラス
アマテラス
天若日子(あめのわかひこ)を派遣して、8年が経っているのに、音沙汰がないんですけど

という、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の不安は的中しています。
天若日子(あめのわかひこ)は、大国主の娘、下照比売(シタテルヒメ)と結婚し、自分が葦原中国(あしはらのなかつくに)の王になろうという野心を抱きながらも、幸せに暮らしておりました。

もう高天原には帰りたくないな

すでに、高天原に対する忠誠心はありませんでした。

使者3・建御雷神(タケミカヅチ)

アマテラス
アマテラス
これだけ使者を派遣して、11年もたってるのに、ことごとく失敗して、私の面目丸つぶれだわ

天照大御神(あまてらすおおみかみ)の心がいくら広いといっても、3度の失敗は許されません。
今度は、自身の最も信頼する腹心、建御雷神(タケミカヅチ)を派遣することを決意しました。

ヤサイ
ヤサイ
建御雷神(タケミカヅチ)は、雷神、または剣の神と言われるほどの武神です

高天原を会社に例えるなら、建御雷神(タケミカヅチ)は
営業一課の課長、
会社のエース、
会社で1番のやり手、
それほどの神を派遣するといったイメージでOKです。

アマテラス
アマテラス
建御雷神(タケミカヅチ)、後はよろしくね
タケミカヅチ
タケミカヅチ
おまかせください、早急に解決してまいります

稲佐の浜

ヤサイ
ヤサイ
下記の画像は、稲佐の浜と言われる、出雲大社の西方1kmにある海岸です
ヤサイ
ヤサイ
この浜で、最強の使者、建御雷神(タケミカヅチ)を大国主は迎えます
ヤサイ
ヤサイ
夕日が沈む景色も美しかったので、撮影しました

日々、人々が集まる観光スポットですね。
さぁ、そんな美しい稲佐の浜に、建御雷神(タケミカヅチ)が降り立ちました。

オオクニヌシ
オオクニヌシ
むむむ、今度の使者はただ者じゃないぞ

大国主は、今回の使者が一筋縄ではいかないことを一瞬で見抜きました。

タケミカヅチ
タケミカヅチ
単刀直入に言う、大国主殿。葦原中国(あしはらのなかつくに)を、我ら高天原にお譲りいただきたい
オオクニヌシ
オオクニヌシ
ふうむ、なぜだ?この国は私が苦労して作り上げた国だ、お前達には関係ないだろう

大国主は、これまで多くの経験を積み、神格では負けないつもりでしたが、相手は最強の武神です。
実際に戦って勝てるかどうかを推し量ります。

タケミカヅチ
タケミカヅチ
この地は、スサノオ殿の子孫のあなたではなく、天照大御神(あまてらすおおみかみ)様の御子が治める地であると私は考える。あなたはどうか?
オオクニヌシ
オオクニヌシ
なるほど、血筋を持ち出すのか、ただ、わからなくもないな

建御雷神(タケミカヅチ)を牽制しつつ、大国主は思います。

オオクニヌシ
オオクニヌシ
自分の思う国はできた、ただ、私はもう年をとってしまった。未来は我が子供達にまかせてみよう

という思いに至りました。

事代主神(コトシロヌシ)

オオクニヌシ
オオクニヌシ
建御雷神(タケミカヅチ)殿、この件は私だけでは決められない。息子の、事代主神(コトシロヌシ)に聞いてみたいのだが、どうか?
タケミカヅチ
タケミカヅチ
うむ、良いだろう
ヤサイ
ヤサイ
事代主神(コトシロヌシ)は、実質的な大国主の跡継ぎですね

前述しました、島根県松江市美保関にある、美保神社の御祭神です。

ヤサイ
ヤサイ
事代主神(コトシロヌシ)は、鳥を狩ったり、魚釣りを愛する、えびす様をイメージしていただければ良いと思います

建御雷神(タケミカヅチ)は、直ちに、事代主神(コトシロヌシ)に会うため、美保関を訪れます。
事代主神(コトシロヌシ)は大抵、釣りをしていて、どこにいるのかわからないのですが、
建御雷神(タケミカヅチ)はすぐに見つけます。

タケミカヅチ
タケミカヅチ
事代主神(コトシロヌシ)殿。葦原中国(あしはらのなかつくに)を、我ら高天原にお譲りいただきたい、どうか?
コトシロヌシ
コトシロヌシ
え、あ、いや、急に言われても

建御雷神(タケミカヅチ)の迫力に、事代主神(コトシロヌシ)はすっかり気圧されています。

タケミカヅチ
タケミカヅチ
御父上の大国主殿に、あなたの許可を得るように言われたのだが、どうか?
コトシロヌシ
コトシロヌシ
あ、はい、わかりました。譲らせていただきます

と、あっさり承諾すると、
船を傾けて逃げるように隠れてしまいました。

ヤサイ
ヤサイ
それだけ、建御雷神(タケミカヅチ)が脅威であったということでしょう

これは臆病であると言えるかもしれませんが、
同時に、相手の力量を正確に理解しているという冷静な面もあります。

建御名方神(タケミナカタ)

タケミカヅチ
タケミカヅチ
事代主神(コトシロヌシ)殿の了解は得た、他に意見のある者はいるか?
オオクニヌシ
オオクニヌシ
そうか、事代主神(コトシロヌシ)は許可をだしたのか

苦労して作った国ですが、我が子が良いと言ったのなら、それも世の流れ、仕方ないと大国主は思いました。
そして、力自慢のもう一柱の息子を思い浮かべました。

オオクニヌシ
オオクニヌシ
我が子に、建御名方神(タケミナカタ)がおります。その他には、意見を言う者はおりません
タケミカヅチ
タケミカヅチ
了解した
ヤサイ
ヤサイ
建御名方神(タケミナカタ)は、大国主の子の中でも、随一の力自慢の神でした

そんな建御名方神(タケミナカタ)は、千人が引いてやっと動くような大きな岩を、
手の先でもてあそびながらやってきました。

タケミナカタ
タケミナカタ
国を譲れだって?ふざけやがって。力比べといこうじゃないか!
タケミカヅチ
タケミカヅチ
受けて立とう

建御名方神(タケミナカタ)が、建御雷神(タケミカヅチ)をひねり潰そうと、その手をつかみます。
すると、建御雷神(タケミカヅチ)の手が氷の剣に変化しました。

タケミナカタ
タケミナカタ
な、なんだと

建御名方神(タケミナカタ)は恐ろしくなり、慌てて手を引きます。

タケミカヅチ
タケミカヅチ
次はこちらの番だな

今度は建御雷神(タケミカヅチ)が、建御名方神(タケミナカタ)の腕をつかみます。
そして、建御名方神(タケミナカタ)の腕を草のように握りつぶし、投げ飛ばしました。

タケミナカタ
タケミナカタ
う、うわ、そんな馬鹿な

とてもかなわないと感じて、建御名方神(タケミナカタ)は慌てて逃げていきます。

タケミカヅチ
タケミカヅチ
待て、逃がさん!

逃げる、建御名方神(タケミナカタ)。
追いかける、建御雷神(タケミカヅチ)。

ヤサイ
ヤサイ
建御名方神(タケミナカタ)は、信濃の国の諏訪の海、つまり、長野県の諏訪湖まで逃げていきます

そして、建御名方神(タケミナカタ)は敗北を認めます。

タケミナカタ
タケミナカタ
恐れ入りました。どうか殺さないでください。私はもう、この地からでていかないと誓いますから
タケミカヅチ
タケミカヅチ
よし、了解した
ヤサイ
ヤサイ
こうして、建御名方神(タケミナカタ)は、長野県の諏訪大社に祭られましたが、建御雷神(タケミカヅチ)を恐れて、出雲の神在祭のときでさえ、この地を出ないと言われています

国譲り

出雲に帰ってきた、建御雷神(タケミカヅチ)は大国主に問います。

タケミカヅチ
タケミカヅチ
言われた通り、子供達の許可は得た。あなたの考えを聞こう
オオクニヌシ
オオクニヌシ
約束通り、葦原中国(あしはらのなかつくに)は、あなた方にお譲ります

これも世の流れ、仕方ないと大国主は思いました。
そのとき、かつてスサノオに言われた言葉が脳裏をよぎりました。

スサノオ
スサノオ
今からお前は、偉大な国を治める王(という意味の)大国主(オオクニヌシ)となれ。そして山のふもとに太い柱の大社を建てろ、この野郎!
オオクニヌシ
オオクニヌシ
そうだ、スサノオさんに言われた通り、国の王になることはできたが、山のふもとに太い柱の大社を建てていなかったな

別れ際に言われた、スサノオの言いつけを守れていなかったことを思い出しました。

オオクニヌシ
オオクニヌシ
建御雷神(タケミカヅチ)殿、国を譲るのは良い、ただ、
タケミカヅチ
タケミカヅチ
ただ?
オオクニヌシ
オオクニヌシ
ただ、私の住居として、地底に太い柱を立て、空に高々とそびえる神殿を建てて祭られることを許可してほしい
タケミカヅチ
タケミカヅチ
うけたまわった、許しを得よう

こうして、

出雲大社は建てられました。

ヤサイ
ヤサイ
これが出雲の国譲り神話です

高天原に国を譲った後の大国主は、今現在も出雲大社にてお鎮まりになっています。
そして、目に見えない世界を司り、
そこにはたらく「むすび」の御霊力によって人々の幸福を導き、
慈愛をそそいで下さることになりました。
だから今でも我々の厚い信仰をお受けになっているんですね。

さきみたま(幸魂) くしみたま(奇魂)
まもりたまひ さきはへたまへ

ヤサイ
ヤサイ
最後まで見てくれた皆さんに良い縁がありますように

機会があれば、出雲大社に参拝に訪れるのは、いかがでしょうか。


おまけ

さて今回も、

ヤサイ
ヤサイ
短く書くぞ!

と言いながら、長々と書いてしまいました。
出来るだけわかりやすく書いたつもりですが、いかがでしたでしょうか?
実際に出雲大社を訪れて、こうして大国主の物語を最後まで書くことができて、個人的にはとても満足しています。

え?
実際に出雲大社に参拝して、良い縁に恵まれたのかって?
それはですね、
こうして、あなたがこの文章を読んでくれているのが、

ヤサイ
ヤサイ
私とあなたの良縁ではないでしょうか?

また見てね。

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