目次を作ってみました
はじめに
兵庫県高砂市に、日本有数のミステリー&パワースポットがあると聞いて、やってまいりました。
なにやら、これだけ書いただけで、すごい情報量ですね。
最初にひとつだけ。
生石神社と書いて、おうしこと読みます。
地名ですね。
では、このミステリー&パワースポットの謎を神社好きである私が、ひとつひとつ解き明かしていきたいと思います。
ご期待ください!
なにが謎?
と思われる方もいるかもしれませんね。
それはですね、
、
、
ずばり!
この御神体、
一言で言うと、
、
巨石です!
それが、
なんと、
そんな馬鹿な!
合成写真じゃないのか!
石が浮くわけがないじゃないか!
軽石じゃないのか!
などなど、
写真を疑う御意見があるかもしれません。
軽石か!
巨大な軽石なのか!?
と疑って調べてみると、
この御神体の巨石、
なんと、
その重さは、
横幅、6.4メートル、
高さ、5.5メートル、
奥行、5.5メートル。
その大きさに比例した重量です。
謎解き
では、なぜそんな重い巨石が水に浮いているのでしょうか?
それは、ずばり!
上記の写真は別に合成写真ではありません。
本当のところ、
この御神体の巨石の形は、
わかりやすくいうと、
、
▼(逆三角形)
、
の形をしているわけです。
そして底面の周囲に、水をためた溝がめぐっています。
そうすることによって、
その光景から、「浮石」ともいわれ、国の史跡に指定されています。
本当の謎
浮石の謎が解けて、すっきりしましたね。
と思いますよね。
少し角度を変えて、
この綺麗に加工された御神体である巨石、
これって、
実は、
そこが、解明されていないんです。
確かに、
古代に、
なぜ、このような巨大な石の加工物が作成されたのか?
それが明確にわかっていない。
、
、
面白いですよね。
また、浮石の底面の溝にある水ですが、
水路が通じているわけでもないのに、
干ばつの際でもなぜか水位が変わらないと言われています。
日本三奇
以前、テレビの全国放送の番組で、
世界の3大〇〇を調査する、というコーナーがあったのですが、
そこで、日本三奇が紹介されておりました。
と、思いながらテレビを眺めていると、
全国放送の番組で、身近な兵庫県の神社が紹介されたので、驚いたのを覚えています。
改めて、その筋では有名なんだなぁと実感しました。
日本三奇(にほんさんき)とは?
日本には古くから「奇跡」と伝えられる建造物があります。
いつ、だれが、何のために、どうやって作ったのか?
その由来は、神話を含めて諸説あり、
人間の常識や現代の科学をもってしても、
未だにその明確な答えはありません。
そんな建造物の中で、
江戸時代の医者、橘南谿(たちばな なんけい)が記した書物に、
、
兵庫県高砂市の生石神社の、
宮城県塩竈市の御釡神社の
宮崎県高原町の霧島東神社の
のことを「3つの奇跡」と紹介しました。
そのことから、この3つの不思議な建造物が、
ただし、なぜこの3つの建造物が選ばれたのかは不明です。
では、具体的に日本三奇とは、どのようなものか、
簡単に紹介してみますね。
石の宝殿
まずは、
詳細はまぁ、この記事をゆっくり最後まで見てくださいよ。
四口の神竈
続きまして、、
御釜神社境内にある「四口の神竈」と呼ばれる鉄製の竈。
この竈は、不思議なことに日照りでも、干上がらず、
雨が降っても、あふれないと言われています。
そして、
「変事が あると竈の水の色が変わる」
と言い伝えられています。
戦国時代以降は、大きな変化があった場合、仙台藩に届け出ることとなっており、
東日本大震災の際では、
本当に水の色が変化したと言われている、不思議な竈です。
天の逆鉾
最後は、
高千穂峰の山頂に、かつて、伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の2柱が、
日本列島を創りだす際に使ったとされる、
天沼矛(あめのぬぼこ)が、逆さまに突き立てられています。
江戸時代から「天下の奇物」と知られるようになりました。
誰が何のために突き刺したものなのか、
300年以上も解明されないまま、現代に至っています。
有名なエピソードとして、かの坂本龍馬が、新婚旅行で訪れて、
この鉾を引き抜いたと記録が残っているそうです。
石の宝殿
先ほどから、石の宝殿、石の宝殿と、
わかったように言っておりますが、
そもそも、
と疑問がわきました。
生石神社の御神体、あの大きな浮石のことでしょうか?
ちょっと気になって、
宝殿という言葉を辞書で調べてみました。
- 神宝、または奉納の物を納めておく殿舎
- 神のやしろ、神殿
- 立派な宮殿
とのことです。
ということは、石の宝殿とは、石の神殿とか、石の殿舎(建物)という意味でしょうか?
石の宝殿とは、
生石神社の御神体の浮石、だけのことではなく、
人工的な巨石が残る遺跡などに付けられた名称、
とのことでした。
そして石の遺跡の中でも、
生石神社の御神体は、特に有名で、
石の宝殿の代名詞になっているようですね。
参拝しよう
御神体のインパクトが強すぎて、失念しておりましたが、
となると、しっかり参拝しなきゃ。
行き方
生石神社は、山の中腹に位置しています。
そのアクセス方法は、車で中腹まで行くのが簡単で、
もし、歩いて行かれるのであれば、
山の麓から、
少し傾斜のきつい階段を登っていく方法もあります。
また、
裏山から登山をして、
頂上について、
下山すると、
個人的には、素直に駐車場から訪れるのをオススメします。
まぁ標高65メートルほどの小さな山ですが。
浮石資料館
駐車場から歩いてすぐ、
そこからテクテク歩いていると、
土、日、祝、限定で、10時~15時に営業時間されています。
御神体の浮石の説明を映像やパネルで展示されています。
地元、高砂市の物産品や、
石の宝殿と同じ竜山石で製作されたグッズも販売されておりました。
ここだけの話、この記事の内容は、かなり
とても勉強になりました。
時間があえば、訪れることをオススメします。
由緒
詳しく知りたい人は、画像の文を見てくださいね。
ということで、要約します。
御祭神
- 大己貴神(おおなむちのみこと)生石大神、大国主神ともいう
- 少彦名神(すくなひこなのみこと)高御位大神、粟島神ともいう
御神体の浮石は、この2柱の御祭神の作と言い伝えられています。
大己貴神(おおなむちのみこと)は、出雲大社の御祭神である、大国主のことですね。
少彦名神(すくなひこなのみこと)は、一寸法師のモデルでもなった親指程度の大きさの神様で、その知識の豊富さから、大国主の軍師的な役目を務めました。
そんな大国主と少名毘古那神(スクナビコナ)が、一緒に行動しているということは、大国主の国作りの最中だったと考えられます。
それはさておき、由緒の話ですね。
由緒2
話は神話の時代にさかのぼります。
大国主は、出雲(島根県)で、自分の信じる国作りを行うことを目的としておりました。
そして、それを支えたのが、
この2神が、国作りのために、出雲から兵庫県高砂市にやってきました。
その際、
ですが、そのときに、兵庫県姫路市の地元の神様、阿賀の神(あがのかみ)の反乱が発生しました。
その反乱は鎮圧したものの、宮殿の建築は途中で(横倒しのまま)終わってしまいました。
そして、2神は言いました。
と言明したそうです。
その後、第10代崇神天皇の御代(西暦200年くらい)に、
日本全土に悪疫が流行して人民死滅の危機になりました。
ある夜、2神が天皇の夢枕に現れ、
とのお告げがありました。
そして、生石神社が創建されました。
以来悪疫も終息して天下泰平となりました。
割拝殿
由緒の看板を眺めて、社務所を抜けて、拝殿に向かいます。
拝殿の脇には、
大穴牟遅神命(大国主の別名)と、
少名毘古那神(スクナビコナ)の、
2神の御祭神の御神名が祀られていますね。
その後、拝殿を通り抜ける前に、
お賽銭ではなく、拝観料をお支払いする形態も珍しいですね。
そして、この道を抜けると、。
御神体・浮石
御神体の巨石との距離が近すぎるせいで、うまく撮影することが難しいです。
御神体の周囲を歩きます。
そして、御神体を、鳥の視点のように俯瞰して見てみます。
こうして見ると、この御神体の浮石、
御神体の周囲三方の岩盤を、溝状に掘りくぼめていたんですね。
そして、御神体の背面には、
一説には、
実はこの突起が、本来はこの御神体(浮石)の上になる、といわれています。
生石神社のHPには、
石造りの宮殿を建設しようとしていた、
御祭神の大国主と少名毘古那神(スクナビコナ)の2神は、
反乱を鎮圧している間に夜が明けてしまい、
宮殿は横倒しのまま起こすことができませんでした。
とあります。
ということは、やはり上記の画像が、正しい形となるのでしょうか。
これは確かに、宮殿のようでもあり、
石棺(石の棺桶)のようにも見えます。
ただ、水をためた溝に立つ、陽の光を浴びた御神体(浮石)からは、
画像からも、おわかりいただけるのではないでしょうか。
超巨大なパワーストーンのようにも見えてきました。
霊岩
拝殿をでたところに、なにやら面白い看板がありました。
~霊岩~
この岩は、石の宝殿の分岩です。
全身の力を込めて押してください。
必ずや神様より偉大なる力をお授けくださいます。
岩に触れて、悪いところを撫でてください。
全力で岩を押します、
どっこいしょーっ、
びくともしません!
その後、悪いところを、と。
お金持ちになったら、また改めてご報告させていただきますね。
御神体(浮石)を見たあとなので、なにやら可愛く見える岩でした。
山上公園
生石神社から、山上公園に行くことができる石階段があります。
入り口は2ヵ所あり、
また、岩山なので、サンダルやスリッパではなく、靴をはいて登りましょう!
数十メートル登ると、
大正天皇がこちらに来られていたなんて、感慨深いですね。
この高砂市が見える景色を一望されたのでしょうか?
天気が良ければ、瀬戸内海の家島諸島や姫路城も見ることができます。
もし生石神社を訪れた際は、ぜひこの頂上まで足を運ばれることをオススメします。
まとめ
ここまで、多くの画像や由緒を見てきました。
そこで導きだせる結論は、
、
、
、
おそらく、古代、
この地域で権勢を誇った石の加工技術を持った豪族の石棺、
、
、
ではないだろうか、
というのが、私の導き出した結論です。
この高砂市で石の加工技術を持った権力者が、
その権威を保つ象徴のような建造物を建てたかったのではないでしょうか?
と考えるのが、
自然な答えかな、と思います。
オーパーツ
では最後に、無難な考察をしてしまったので、
謎を残す紹介で締めたいと思います。
「out-of-place artifacts」、
訳して、場違いな工芸品を、
略して、オーパーツと言います。
というと、わかりやすいでしょうか。
それらが作られた時代の人間がもっていた技術や知識では、
到底、製造不可能な出土品のことを指します。
一体誰がそれを作ったのか?
それは、
もしかしたら、
あのミステリーといわれてるアレも、実は、、
、。
なんてね。
神社情報です
神社名 | 生石神社 |
---|---|
御祭神 | 大穴牟遅命(大国主)&少毘古那命(スクナビコナ) |
鎮座地 | 高砂市阿弥陀町生石171 |
電話番号 | 0794-47-1006 |
駐車場 | 有 |
地図です
御朱印です
おまけ
私は、生石神社の御神体(浮石)は、古墳ではないか、と推測しました。
ただ、
なぜ水に浮かべているのか?
いや、
水に浮かべる物って、
それは、
、
この御神体(浮石)は、山の中腹にあります。
山の上に船がある?
それはなぜかって?
その理由は、
そう、
あれしかありません。
古代、兵庫県高砂市に、
、
、
おそらく、あの巨石には超古代文明の科学技術がつまっているのに違いありません!
おしまい。
[…] […]